2011-01-01から1年間の記事一覧
2011年8月の上旬、ようやく診察日がやって来た。 7月中旬頃から歩行機能が優れず、待ち遠しく感じたからである。 妻も自宅で私の日常動作を見ていて、心を痛めていた。 今回は到着が予約時刻の15:30より早めであったせいか、総合病院の脳神経内科に行くと多…
2011年7月下旬、飛び込み営業で、外壁塗装屋が来た。 20代後半と思える色黒で元気のよいお兄ちゃんである。 しかし我が家のメンテナンスは某ハウスメーカーが定期的に担当してくれているので、私は頼む積もりはない。 それに外壁はシンセライト(と言う丈夫…
自宅の近くに行く用事ができたので、自転車で出掛けた。 否、正確には「出掛け様とした。」 所が・・ 一旦自転車に跨ったものの、フラフラするのである。 何とかペダルを押して進んだが、真っ直ぐ進めない。 それでもペダルを漕いで行ったら、蛇行の末、コ…
2011年7月中旬の某日は会社が休みでもあり、終日ノンビリしていた。 でもそろそろ食糧も乏しくなったので、夕方、妻を近所のスーパーに買い物に誘った。 所が・・ 妻の口からは、不満や不平しか出てこなかった。 確かに術後は大変だったろう。 でもこちらだ…
やがて、妻は甘い吐息と共に両脚を伸ばして、僅かにのけ反る様に全身を硬直させた。 これで、準備完了! 弛緩後、私は両脚に挟まれた頭を抜いて体を起こし、妻の膝を折らせて正常位になった。 でも慌てて、ただ突(つつ)くだけではだめである。 先ずは、入…
そうそう、退院後の生活で、書き忘れた事があった。 ここにエピローグとして、紹介しよう。 (興味本位な記述・・と思われる方は、読み飛ばして欲しい。) ――――――――――――――――――――――――― 2011年7月上旬、妻も退院後体調を戻し、何とか普段の生活に戻れる様にな…
2011年7月上旬、退院後は調子のよかった妻が、体調不良で床に伏せがちとなってしまった。 そこで急遽、私が洗濯、風呂掃除、弁当作り、ゴミ出し・・と、出勤前に家事をこなす事になった。 勿論、バランスが悪いので、フラフラしながらであえる。 その後、定…
2011年7月上旬、先週芝刈りをしたばかりであるが、虎刈りが気になったので、再度の芝刈りをした。 それでもこの季節は、芝の成長が早い。 集草箱には、刈った芝が思いの他、溜まって行った。 所が・・、芝刈りの途中で、強い脱力感に襲われた。 芝刈り機を押…
2011年6月の末、妻はこうして無事に退院の日を迎えた。 病院の入退院窓口で入院費をクレジットカードで支払い、ナースステーションで処方薬と次回の外来診療予約票を受け取り、お礼を言って引き上げた。 こうして再び、家族が揃ったのである。 振り返れば、…
低カルシウム血症以外の、手術に伴うトラブルは無かった。 声も3日目には、元通りとなった。 日を追って順次酸素マスクが取れ、導尿カテーテルが取れ(=自力でトイレに行け)、首のガーゼが取れ、ドレナージ・チューブが取れ・・ 日に日に恢復して行った。…
こうして、妻の甲状腺癌摘出手術は、無事に終了した。 後は恢復を待つばかり・・と思えた。 しかし、道のりはそう平坦ではなかった。 副甲状腺摘出の弊害が、殊の外強く出たのであった。 ――――――――――――――――――――――――― 既述ではあるが、復習してみよう。 甲状腺…
手術も、手術の説明も終わり、家族と身内は示説室を後にし、ディルームに戻って患者の帰りを待った。 やがて医療用のエレベーターが開いて、ストレッチャーが出てきた。 妻が戻ってきたのだ!!! 皆、その後をゾロゾロと着いて行ったが、病室の前で、 「ご…
午後3時40分、看護士がディルームで待機している家族と身内を呼びに来た。 手術が終了したのである。 手術の余りの遅れに皆が不安を持ち、重い空気のままその看護士の案内で、手術室に隣接する示説室へと向かった。 手術の説明(内容、経過、結果)を聞くた…
8時55分、定刻に看護士が車椅子を持って、妻を迎えにきた。 ストレッチャーではなかった。 そして車椅子の妻を先頭に、車椅子を押す看護士、家族、身内がゾロゾロと手術室の前まで付いて行った。 そして皆の見守る中、看護士は妻の乗った車椅子を押して手術…
甲状腺全摘出手術に伴うその他のリスクは、一般の手術と同じである。 緊急時に輸血を行う可能性があるので、血液製剤を介する感染症(HIV、C型肝炎など)のリスクは、ゼロではない。 勿論W医師から丁寧な説明があり、同意書に本人がサインした。 その他、多…
では、甲状腺全摘出手術のポイントとなる反回神経と副甲状腺とは? 反回神経とは、声帯を支配する神経である。 この細い神経が、左右の甲状腺の裏側を気管に沿って走行している。 甲状腺を摘出する時にこの神経を損傷してしまうと、声が出なくなる。 それば…
所が、W医師の判断は異なっていた。 もう少し長期に亘ってコントロールされる必要があるらしい。 そこで再び妻は内科のN医師(女性)を受診し、甲状腺ホルモン値(=血中濃度)を継続的にコントロールする事となった。 ―――――――――――――――――――――――――― N医師は、…
多くの偶然が重なって、妻の甲状腺の両側(りょうそく)に癌が発見された。 その総合病院の外科で手術し、摘出する事が決まったが、「甲状腺クリーゼ」を避けるため、準備が必要である。 甲状腺クリーゼとは、甲状腺ホルモンの血中濃度が急変する事によるシ…
2010年の年末から2011年の初頭に降って湧いた(?)妻の病気の経緯を、ここで纏めてみよう。 ? 近所の開業医で市の健康診断を受けたら、便潜血反応が陽性だった。? 紹介を受けて受診した総合病院の消化器科で、大腸ファイバースコープの検査を受けたら、「異…
指定された日に、妻はその総合病院で、甲状腺の超音波検査を受けた。 検査そのものは、痛くも痒くもない。 ただ首にプローブを当てるだけである。 しかし、その結果を受けての再診でY医師から告げられた内容こそ、将に「衝撃的」と言う他はない。 影が見つ…
妻は同じ総合病院の内科にて、Y医師の指示の元、再度の血液検査を受けた。 この頃になると、年は変わって2011年となっていた。 血液検査は何度も受けているが、「肝臓」と言う事で、きっと一般検査とは項目が異なるのであろう。 そこで、検査結果の出た頃を…
さて、これまで私のパーキンソン病の話題ばかりであったが、実はこの間、妻の体にも大変な事が起こっていた。 少し長いのであるが、紹介しよう。 ―――――――――――――――――――――――― 2011年6月下旬、妻が甲状腺の全摘出手術を受けた。 病名は「甲状腺癌」である。 細…
I医師は椅子から立ち上がり、診察室の隅まで私を招いて 「歩いてみて下さい」 (I医師) と促した。 私はつい意識して、「普通に」歩いた。 次に私の後ろに立ち、私の両肩を持ち 「私が後ろに引きますから、できるだけ踏ん張って下さい」 (I医師) と言い…
お互いが椅子に座ったままI医師は私と向き合い、膝を突き合わせた。 そして背筋を伸ばして、その両手で私の両手を取った。 I医師の暖かくて柔らかい手の感触が、伝わってくる。 でも、これは純粋な診療行為である。 その証拠に、I医師は私の手を振ってみたの…
I医師は 「では、診察に入りましょう」 (I医師) と言い、聴診器を取って構えた。 私はジャケットを脱いで、聴診を受けた。 その結果、 「不整脈は、ありませんねぇ」 (I医師) との診断だった。 前回受診時に不整脈の存在を示唆されたので、今回、質問と…
因みに、I医師の言う「この通り」とは、パーキンソン病の亜型の事である。 その理由は、 「震えはないんですよね、歩行障害が最初に現れたんですよね?」 (I医師) と言う言葉に集約されている。 つまりパーキンソン病の発症は震顫(振戦)から気付く事が多…
2011年6月の中旬、待ちに待った診察日である。 予約時刻の16:00ギリギリに病院に到着した。 受付票の打刻は15:57である。 脳神経内科の受付に行き、月替わりなので保険証を提示した。 待つこと20分位であったろうか、結構早めによばれた。 今回は、中待ちな…
次はいよいよ、メインイベントの屋形船である。 バスから降りて、艀(はしけ)に向かった。 ただでさえ足元が覚束ない上に、傘もさしている。 オットットと水溜りに突っ込み、靴に水が入って靴下も濡れてきた。 気持ち悪い・・ これもパーキンソン病の副作用…
2011年6月中旬、某ハウスメーカーの日帰りバス旅行に当選したので、妻と出掛けた。 葛飾柴又の旅である。 12:30分の出発なので昼少し前の電車に乗り、集合駅に到着してみると、既にバスは道路脇に待機していた。 車内に入り着席すると、急に出発が待ち遠し…
あの恐ろしい眩暈の事が、未だに頭を離れない。 それは、疾病の成り立ちやその構造にも関係するからである。 勿論、私の病気はパーキンソン病である事に、間違いはないであろう。 でも、「純粋な」パーキンソン病なのだろうか? 眩暈の発生以来、そんな事を…