パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

皮膚科へ(4)

そして、皮膚科へは5月は全4回中、後、2回である。 そして、先ずは、3回目の時の事である。 

 

まぁ、私の方は、頬はほぼ完治。右腕での方は未だ硬いので、液体窒素で焼くだけ・・ 私の分は、すぐに終わった。 妻の方は、医師は、丹念に診ていた。 そして、

 

   「うん、切った所は、綺麗に治っているね。 どうでしたか、痛かったですか?」

 

と訊いた。 これに対して、妻は

 

   「いえ、液体窒素より、痛くありませんでした」

 

と答えた。 更に、彼は、

 

   「じゃあ、小さいやつも取って行きましょう」

 

と言いながら。液体窒素で焼いて行った。 やりながら、

 

   「この赤いのは、(今の方法では)取れないよ。 血管腫だからね」

 

と言っていた。

 

   ――――――――――――

 

そして、いよいよ、第4回目の日になった。 妻は、もう行きたくない・・と言い出した。 と言うのは、もう大きなイボは取れたし、小さいものは元々、目立たないからである。 しかし、私の右腕のイボは、まだ硬いままだ。 

 

そこで、何とか説得して(頼み込んで?)、行く事となった。 S医院に着くと、混雑していた。 きっと、「緊急事態宣言」が解除されたかだろうか、小さな子供が多い。 しかも、「水イボ」だと言う。 プールが始まったからだろうか? 兎に角、1時間以上待つハメになった。 その間、私が自分の右腕のイボを見ると、7割位カサブタの様に取れていて、残りの3割位で辛うじて付いていた。 試しに引っ張ると、まだ痛いし、出血しそうだ。

 

そこで、そのまま受診する事とした。 廊下に表示される番号が、我々のものと一致し、診察室内に呼ばれた。 すると、医師が患者用椅子に座った私に対して、カルテを見ながら、

 

   「どうですか、首の具合は?」

 

と訊いた。 すると、妻が、

 

   「センセ、それ・・ 私の(カルテ)です」

 

と言った。 その後、医師は正しいカルテで私を診た。 すると、私の左頬を診て、一応、液体窒素を含んだ巨大綿棒を、(軽く)当てた。 そして、右腕の(取れそうな)イボを見て、

 

   「取れたばかりのイボの痕は、柔らかいので、液体窒素は当てられないのです」

 

と言い、私の分の診察は、直ぐに終わった。 妻には残った小さなイボに、次々と液体窒素を当てて行った。 そして、

 

   「このまま、1~2ヶ月程、様子を見ましょう」

 

と言った。 これにより、我々の皮膚科通いは、終わったのだった。

 

尚、私の右腕の(取れそうな)イボであるが、夜、風呂に入る時に見ると、いつの間にか無くなっていた。

 

 

皮膚科へ(3)

さて、5月に入り、苺ジャム作り、転倒の話し、そして5月のリハビリについて書いたので、以降は、それ以外の話題を書こう。

 

先ずは、皮膚科である。 5月に全部で4回程通った。 1回目は、別の医師である。 と言うのは、GWで医院が休みのため、止むを得ず、別の曜日に行ったら、別の医師だった・・と言う訳である。 以降、その医師に診て貰っている。1回目は、以前の医師と同じく、液体窒素で焼く(?)だけだった。

 

2回目に行った時は、医師は妻に、

 

   「大きなのは、切っちゃいましょう!」

 

と言った。 妻は思わず、

 

   「嫌です!」

 

と答えた。 医師は、説得を試みた。

 

   「今の方法だと、20回・1年位通わないと、取れないよ! それに、痛みは注射針を刺す時位ですよ!!!」

 

と言いながら、妻に迫って行った。 妻は覚悟をしたらしく、看護師にもたれかかりながら、斜め上を見ていた。 医師は、妻の首のイボをピンセットで摘まみ、鋏で「ぷちっ」と切った。 妻は無反応だ。 看護師が、切った痕をガーゼで抑えた。 そして、ガーゼで圧迫止血が、イッタかどうか確認するためにガーゼを持ち上げると、直径5~6mm位の真紅の円があった。

 

そして、ガーゼ付きの絆創膏を貼った。 これで終了である。 丁度、腕の静脈から採血した後に貼る様な、絆創膏であるが、一部は血が滲んでいた。

 

妻に感想を訊くと、

 

   「えぇ、1個は痛かったけれど、他は、何ともなかったわ」

 

とか・・

 

その1個と言うのが、

 

   「服を着る時、引っかかって痛い」

 

と言っていたものらしい。 つまり、それが無くなって、未だ絆創膏は貼ってあるものの、快適らしい。 後日、その絆創膏も剥すと、傷も無く、綺麗になっていた。

 

 

リハビリ532 ― 5月のリハビリ

さて、5月のリハビリを紹介しよう。 先ずは、第2週の前半は、GWでお休みだ。 同週の後半はK士によるリハビリがあった。 続いて、第3週の前半は、S士だ。 彼は、

 

   「どこか、痛い所がありますか?」

 

と訊くので、私は、正直に、

 

   「右の肩が。痛いです」

 

と言った。 確かに右肩が痛く、毎日、湿布薬を使っている。 原因は、きっと転倒しそうになった時、右腕で支えるからだろう・・と思っている。 痛み・・と言っても、特定の角度になった時に痛むので、普段は何でもない。

 

すると、S士の施術は・・ 左右同じ様に、やっているではないか! これじゃあ、何のために痛い場所を訊いたのか!?! ただ、横を向いて上側の上肢と下肢のストレッチをやる代わりに、浮腫んだ足のマッサージをやってくれた。

 

そして、第3週の後半は、いつものK士だった。

 

   ――――――――――――――

 

更に、第4週の前半は、T士による施術だった。 彼も、前回のS士の様に訊いたので、私が同じ様に答えると・・ 彼は、右側が上になる様に指示し、私の右腕を廻し始めた。 すると、確かに痛い角度を通過したけど、痛みはその時、1回限りであった。 そLして、施術後は、その角度にしても、もう痛みは感じなかった! そして彼は私に、

 

   「う~ん、確かに(肩関節が)グキグキ言ってますねぇ・・」

 

と言った。 私は、

 

   「(成る程、こう言う時は、肩関節は動かせばイイんだ!)」

 

と分かった。

 

そして、週の後半の施術はK士によるものだった。

 

   ――――――――――――

 

さて、最後に第5週の前半の施術者は、再びS士であったが、3ヶ月毎のリハビㇼの成果を評価しなければならないらしく、私に、結構色々と訊いて来た。 また、その枚数の多い事! 彼は、必死になって書いていた。 私が、

 

   「(まさか、今日は、これだけで終わらないだろうなぁ・・)」

 

と思ってしまう程の分量だった。 しかも、介護の診察の予約まで取る様に、言われた。 まぁ、介護の診察の結果はミエミエだけど・・

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2020/04/09/065232

 

そしてその後、S士による施術は、いつも通り実施された。

 

第5週の後半は、例によってK士が施術の担当だったが、この所の、私の様子について、結構詳しく訊いた。 これも、3ヶ月毎のリハビリの成果の評価に関係あるのでは???・・と思える程だった。

 

 

やってしまった(3) ― 消毒・抜糸・消毒・完了! 

こうして、傷は縫合された。 続いて、消毒だ。 え? 翌日から世の中は、4連休・・ですって!?! それはそうだが、看護師が教えてくれた。

 

   「5月4日は、ウチが休日当番医なので、消毒に来て下さいね」

 

と。 しかも、

 

   「5日は〇〇が、6日は××が、休日当番医ですから、何かあったら、行って下さいね」

 

とも、案内を受けた。 そして、カラフルな印刷物を妻に渡した。 チラ見すると市が作成した令和2年の「休日当番医表」の様っだった。 

 

さて、T医師がやって来て、傷の処置をしながら、呟く様に言った。

 

   「こりゃ、(傷痕が)残るなぁ」

 

と。 まぁ、あれだけの傷なので、仕方ないだろう。  

 

   ――――――――――――

 

そして、連休明けの7日に行ったら、T医師は、

 

   「今日は、抜糸しましょう。 ただ、寄せてあるだけだから・・」

 

と言い、鋏で縫合糸をプチプチと切り始めた。 切り終わると、彼は看護師に

 

   「ヒビ!」

 

と言ってヒビテンを、続いて、

 

   「ゲンタ!」

 

と言ってゲンタマイシン軟膏を要求し、私の傷に塗って行った。 すると看護師が、ガーゼを当て、それをテープで止め始めた。

 

   ―――――――――――――

 

更に、9日にも消毒に行った。 同様に看護師が、ガーゼを当てあが、これが問題だった。 と言うのは、次の消毒の時、ガーゼを取る時に折角出来た瘡蓋(かだぶた)が、ガーゼと一緒に取れてしまったのだ。  

 

T医師が常々、

 

   「瘡蓋ができたら、(通院は)終わりですよー・・」

 

と言っていったのを聞いていた看護師は、今度は傷の上にスベスベしたテフロン(?)シートを載せてからガーゼで覆った。すると、その甲斐あってかその次の回にOKとなった。

 

こうして、後は、自宅療養となったので、私は、妻の運転するシエンタで帰宅した。

 

え? プリウスじゃあなかったのか・・ですって!?! 良くご記憶ですね!!! そうなんです、プリウスの車検を機に「福祉車両」であるTANKTOYOTAブランドのダイハツ車)を注文したら代車が来たが、その代車がシエンタなのである。 まぁ、代車は普通は、格の落ちる車が多いが、これは、試乗車だそうだ。 走行距離6,000KMの新車である。

 

やってしまった(2) ― 受診編

で、待っていると、呼ばれた! 未だ、待合室には、大勢いるのに・・ 看護師に呼ばれて中に入ると、診察台に上る様、案内を受けた。 私は、再度、1番奥の台に上った。 すると、看護師が、傷を露出して、濡れた脱脂綿で、傷及びその周辺の清拭を始めた。

 

こうして待っていると、T医師がやって来て、

 

   「どうしましたか?」

 

と、怪我の発生状況を訊いた。 まぁ、妻が答えたが、これは怪我の発生に「事件性」の有無を知るためだ。 と言うのは。「事件性」が推定される場合は、警察等への通報義務があるからだ。

 

そして、傷を診て、。

 

   「縫いましょう」

 

と言って、縫合の準備をした。 

 

先ず。看護師が、

 

   「眩しいので、覆いますねぇ」

 

と言って、白い布を目の上に置いた。 薄目を開けると。確かに強烈な光源が準備された様だ。 

 

次は、麻酔である。 額に、麻酔の針が

 

   「チクチク」

 

とした。 

 

麻酔は直ぐに効いて来て、いよいよ、縫合である。 勿論、縫合針を刺しても、痛くはないのだが、それだけに、針が刺さる瞬間が不気味である。 そして、途中、強い痛みを感じ、思わず、

 

   「痛っ・・」

 

と言ってしまった。 どうも。麻酔の効いていない部分が引っ張られた感じだ。 後で、T医師曰く、

 

   「額と言うのは、肉が無くて皮だけなので、引き寄せて(から)縫う必要がある」

 

と言う事らしい。 更に

 

   「これが、同じ額でも、剃刀等で『スパッ』と切れた傷なら、また違う縫い方なんだけどね!」

 

こうして、縫合が無事に終了し、最後に看護師がテープを貼って無事に「ミニオペ」が終了した。

 

待合室に戻ると、未だ大勢の人が待っていた。 つまり、T医師は、優先してやってくれたのだ! それは、傷の手当てが焦眉の急だからだろうか、それとも妻が私の手当てをしている間に、長女に指示して、T医院の診療日か否かを照会したからだろうか? 又は、その両方だろうか? いずれにしても、T医師には「感謝」である。

 

 

やってしまった(1) ― 転倒編

さて、5月の2日は、5連休の初日である。 天候が良い事と相まって、何か、ウキウキとした気分である。

 

そこで、庭に出て、少し歩いて見ようと思った。 そうだ、歩行器だ! あの歩行器さえあれば、どこへでも行ける!!! 見ると、歩行器が玄関内にある。 そうだ、これを外に出せば良い!!!!! 

 

そう思って、玄関の扉を開け、歩行器を出した。 そして、段差に差し掛かった。 ウン、大丈夫、この段差は、何度も歩行器で降りている。 そう思って、歩行器の前輪が段差に差し掛かった時、前輪が回転し、下の段差に落ちた。 すると、その落ちた歩行器に引っ張られる様に、私も落ちてしまった。 まぁ、病気でなければ、足が前に出るのだろう。 しかし、元々足の動きが悪い病気である。 そのまま、前に倒れて行ってしまった・・

 

では、床面との衝突を避けるために、手を突いたか? これが、律儀に歩行器の両手のグリップを持ったままだった。 必然的に、顔面がコンクリートに向かって行った。 まるで、スローモーション映画を見ている様だった・・ 

 

コンクリが目前に迫って来る。 拙い、このままだと、顔面が衝突する・・ 今、私が出来る事は。腕に力を入れて、衝撃を避ける事だ! 私がそうするも、足は段の上なので、前のめりになってしまう!!!

 

そして、遂に額がコンクリに当たってしまった。 かなりの衝撃だ。 これは、出血してしまったなぁ・・と思い、次の動作を考えていると、その様子を見ていた妻が飛んで来て、私の背中側に廻り込み、上半身を起こした。 すると、額から、血が十滴程が滴(したた)り落ちた。 私は、それを見て、

 

   「(しまった! やってしまったぁ~・・)」

 

と思った。 すると、妻が長女を呼び、ティッシュ(ペーパー)を持ってこさせ、取り急ぎ、圧迫止血をした。

 

え? 新婚の長女がなぜ、実家にいるか・・ですって!?! 実は、未だ新居が決まらず、このGっを、夫婦が夫々の実家で過ごす・・と言うのだ。 まぁ、色々と物件を当たってはいるが、中々「これ!」と言うのは、見つからないらしい。

 

話しは戻って、出血が収まると、妻はそのティッシュをテープで止め、病院に行く準備をし出した。 そんなに重症なのだろうか? そんな心配をしている私をよそに、車は一路、T胃腸科医院に向かった。 そう、前回の転倒時も前頭部を6針も縫った所である。

 

  http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2019/08/03/085507 

 

   ―――――――――――――

 

医院に着いと、ヨタヨタしながら入ると、スリッパに履き替えてから、先ずはトイレにて石鹸で手を洗い、続いて待合室に入る時に次亜塩素酸水を手に吹き付けて、擦れ・・と言うのだ。 そして最後に、待っていると職員が出て来て、非接触型の体温計で首の辺りで測る。 そして、どうやら37,0℃以上だと、ダメらしい・・ 

 

私の体温が36.8℃あり、発熱しているか否か迷った職員は、妻にその事を告げた様だ。 妻は、

 

   「今、歩いて来たからじゃあ、ないですか?」

 

と平然と答えていた。 尚、妻は、36.0℃だった。

 

 

リハビリ531―Sh士と卓球の話題

さて、本日記では、前回、5月の話題が入ったので、闘病記も急ごう! そんな訳で、今回で2020年4月の最後の日記となる。

 

先ずは、週の前半の施術である。 担当はSh士だった。 彼は色々と教えてくれるので、私の好みだ。(><)

 

すると、今回は彼からの質問があった。 以下は、その時のやり取りである。

 

   「学生時代は、どんなスポーツをやってましたか?」

 

   「卓球です。 社会人になっても・・」

 

   「へぇー、じゃあインター杯とか国体とかに出て・・」

 

と言うので、私が「ナイナイ」と言う意味で手を横に振ると、

 

   「じゃあ、県大会とかに?」

 

と訊くので、再度手をふると、

 

   「じゃあ、会社対抗とかグループ対抗とか???」

 

   「えぇ・・」

 

まぁ、それ以上は、訊いてこなかった。

 

   ―――――――――――――

 

さて、施術中に、私に足の浮腫みについて、次の様なアドバイスをしてくれた。

 

   「寝る時に、座布団等で足を上げるんですよ。 後は、足首を動かして・・」

 

と言いながら、足首を前後に大きく、強く動かして見せた。

 

最後に私の歩容を改善した。 私が歩く後ろから、声を掛けた。

 

   「はい、もっと胸を張ってぇ、顔をあげてぇ・・ そうそう、もっと遠くを見てぇ・・」

 

と。

 

  ――――――――――――――

 

続いて、週の後半はK士による施術だった。 そして、直前に教えてもらった歩き方をすると、K士は、褒めてくれた。