パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

長女の結婚式(8) ― 新郎の実家へ

さて、2泊3日の最終日に、新郎のお母様から、彼の実家、すなわち、お母様のお住まいに招待を受けた。 曰く、

 

   「どうぞ、午前中に来て下さいな。 お店を予約しておきますから・・」

 

と。 「店の予約」と言えば、昼食である事は容易に想像が付く。 そこに何か「重いもの」を感じた妻は、何とか断ろうとした。 実は、ここから「戦い」が始まるのである。

 

始めは、LINEでやり取りをしていた。

 

   「妹夫婦に送迎してもらっているので、(我々が昼食が終わるのを)待たせる訳には行かない」

 

と、妻が断わると、お母様は、

 

   「勿論、妹さんたちも、ご一緒にどうぞ!」

 

と言う具合だ。 そんな「丁々発止」が続いたが、埒が明かないので、電話が掛かって来た。 妻は未だ「理論武装」していないので、

 

   「今、ちょっと手が離せないので、明日の午前10時に、こちらから電話します」

 

と言って、切り抜けた。(汗)

 

   ―――――――――――――――

 

翌日、妻が午前10時丁度に架電すると、相手のお母様が直ぐに出た。 あたかも、電話機の直ぐそばで、架電を待っていた様だった。 そして、妻が半日考えた「言い訳」を述べた。 妻は、我々を送迎してくれているた妹をダシに使った。 つまり、妹が、もし職場に披露宴に出たばかりか。その後大勢で食事をしたことが分かると、2週間の自宅待機を言われる。 

 

しかし、現実、パート代が、半分になったら非常に困る。 コロナに感染していなくても、職場の皆も「濃厚接触者」として自宅待機にでもなったら、もう売り場は閉鎖となり、皆に迷惑を掛けてしまう・・と。

 

まぁ、そこまで言われると、お母様も流石に折れ、

 

   「じゃあ、お茶だけでも・・」

 

と、納得した。 そして、荷物は義妹の車に積み、彼(新郎)が我々をお母様の住まいまで送迎してくれる事になった。 また、当日の午前10時にホテルで待ち合わせて、11時に調布を出発する事になった。

 

   ―――――――――――――――

 

さて、13日の10時前にフロントで精算し、待っていると、長女夫婦がやって来た。 すると、大通りを10分程走って、車道から歩道に半分乗り上げて、車を停めた。 どぅやら、ここで降りるらしい。 彼は、大きなシャッターの横の鍵穴に鍵を差し込み、シャッターを開け始めていた。

 

すると、人の声がしたからなのか、シャッターの音がしたからなのか、玄関からお母様が出て来た。 挨拶を交わしていると、シャッターが人の高さまで上昇し、そこが車庫である事が分かった。 ま、我々がお母様から接待を受けている間に、車を仕舞うのだろう。

 

   ―――――――――――――

 

お母様の案内で玄関を入ると、広い玄関だった。 靴を脱いで上がると、廊下を挟んで正面の部屋に案内された。 そこは20畳位の広さの板張りで、天井も高い。 その奥にソファーがあり、そちらに着席する様、促された。 我々が座ると、お茶とお菓子を準備してくれた。 その、右側が和室になっていて、彼の父親と、母方の祖父の位牌が別々にある。 そこで、両方に線香を上げさせて貰った。

 

尚、中央の部屋の反対側(左側)は、ダイニングキッチンとなっていて、普段はそこにいるらしい。 玄関の脇に階段があったので、訊くと、2階には、彼の妹さんが住んでいて、総床面積は80坪位らしい。 (彼の母方の)祖母の希望通りに祖父が建てたらしい。 下世話な話しだが、私は固定資産税が気になっていた。 だってぇ、大通りに面した角地に80坪の家、庭が少々。 それに、以前は工場として使っていた・・と言う広い倉庫。(今は駐車場として使っている)

 

ま、それは別として、我々は、10時40分頃退散し、彼に車で送って貰い、約束の11時には義妹夫婦と合流出来た。 帰りは、来た道を一直線で戻り、1時間半程で自宅に戻れた。

 

こうして、我々の2泊3日の旅は終わった。 まぁ、比較的、のんびりした旅だった。 ラッキーだったのは、Go to トラベルが使えた事である。 宿泊代が安くなったばかりか、地域振興券で美味しい豚カツやスパゲッティにありつけた。

 

そして、翌14日には、借用した車椅子を返却に行かなければならないが、妻が一人で行ってくれた。 結局、私の体調が良かったので、車椅子のお世話にならずに済んだが、結果的に、妻に徒労をさせてしまった。