パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

家族旅行 (2)

さて、ランチが終わると、一路、世界遺産富岡製糸場(正確には、「富岡製糸場と絹産業遺産群」:2014年6月25日、文化遺産の内の産業遺産として登録された)へ向かった。 雨は、先程(ランチ前)より少し激しくなったが、まだワイパーは「低速側」で十分な位である。 ま、カーナビまかせの気儘な旅である・・

 

それでも、1時間半以上掛かった様に思われた。 そして街中に入り、カーナビが再び、

 

   「目的地に近づきました。 案内を終了します」

 

と言うので、見ると道路の突き当りに写真で見たことのある様な建物が見えて来た! そう、ここが、富岡製糸場である。 道は実は、突き当りでなく、右に曲がる様になっていた。 道が空いていたので、道路脇に停め、私の車椅子を降ろした。 そして、妻と私が車を降り、子供達だけで、適当に(有料)駐車場を探して、合流して見学しよう・・と言う事になった。 

 

そこで、入場券を買おうとしたら、(身体)障害者と付き添い1名は無料だという。 こうして、雨の中、来るハズの子供達をゲートの見える、雨のかからない所で待っていると、 しばらくしてやって来た。 が、結構、待った。 こうして、4人で天井の高い、教室の様な部屋にある展示物を読んで行った。 後は、屋外らしい・・ 

 

そこで、妻がビニール製の大きな風呂敷を出して来た。 そして、それを私の膝に2つ折りにして掛けてくれた! 確かに、これがあれば、車椅子でも太腿や膝、膝下が雨に濡れる事がない。 そして、私は自分の傘で、自分の上半身を守れ・・と妻が言う。

 

では、車椅子を押している妻は? 両手がふさがっているので、傘を差せない・・ そのため、子供に相合傘をしてもらう他はない。 雨の日の車椅子と言うのは、これ程大変なのである。 そのため、「(折角来たので)全部みよう」なーんて、気も起らない・・ そこで、診療所と、その途中の職員宿舎、さらに工場を見た位だ。 但し、「工場」と言っても、めちゃ大きくて、天井も高い。 そこに、蚕から絹糸を紡ぐための超巨大マシーンが座している。

 

このマシーンに女工さん達が、ズラーッと並んでいたのだろう。 では、女工さん達は、どんな気持ちで働いていたのだろう。 

 

パンフレットによれば、

 

   「一同送りの人々に付添われまして富岡製糸場の御門前にまいりましたときは、実に夢かと思います程驚きました。 生まれして煉瓦造りの建物など、まれに錦絵位で見るばかりでありますから、無理もなき事かと存じます。」

 

と言う日記が残っている様です。 また。フランス人コンサルタント(?)・ブリュナ氏の夫人の美しさも、当時の女工さんの日記に残っている。 同パンフレットには、次の様にあった。

 

   「御巡幸当日(明治六年六月皇太后、皇后が富岡製糸場を視察)の服には実に目を驚かせました。 あれが大礼服と申しますのか胸と腕とは出しまして白のレイスのような品に桜の花のような模様がありまして、その下にも同じような品で二枚重ね、一番下に桃色の服を着(ちゃく)しております。 その色が上まで透き通りますからその美しい神々しい事たとえようがありません。」 

 

この様に。フランス人が出て来るが、その理由は、絹糸の技術をフランスから導入したからだ。 事実、最初の機器類は、フランスから輸入された物の様です。 また、富岡製糸場と言えば「煉瓦造り」の印象をお持ちの方もいらっしゃるとは思いますが、そのl煉瓦積み方が、フランス積みだと言う

 

トイレに行こうとしたら、雨の中、砂利道を数十メートル進まなければならない。 車椅子で砂利道を進むのがどれ程大変なのか、健常者には分からないんだろうなぁ・・ まぁ、建物をグルーッと反対側に回って、砂利道を進む距離を最小限とした。 その近辺に、女工さん達の宿舎があった。 それがあるのは、建物の裏の方であった。

 

こうして、4人が一緒に駐車場まで、歩いて行った。 否、3人が歩いて、もう一人は、車椅子だった。(汗) 駐車場は市営なので、(他の、民営駐車場より)安かった。 しかし、200m程歩かなければならなかった。 妻は、

 

   「偉いねぇ、良くみつけたねぇ・・」

 

と褒めた。 こうして、富岡製糸場を後にした。 兎に角、雨で寒かった。 

 

今から、長女の運転で、今夜の宿にまっしぐらだ。