パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

リハビリ503―物足りない・・

早速、今日は、第2週のリハビリ日だ。 先ずは、週前半である。 送迎の時間は9:40であるが、ましても9:30頃到着した。 まぁ、準備する側としたら、(数分程度)待つのは良いが、10分も早くこられたのでは、堪らない。 そこで、妻がツッコミを入れた。

   

  「お迎えの時間が、早くなったんですか?」

 

と。 これに対するF運転手の答えは、ふるっていた。

 

   「いや、送迎の都合です」

 

と。 つまり、妻の意図は、伝わらなかったのだ。 斟酌せい・・とまでは言わないが、少しは少しは忖度位はあってもイイんじゃないか! ・・と思った事だろう。

 

まぁ、運転手がそう言うなら、それに合わせるしかない・・

 

   ――――――――――――

 

こうして、N整形外科に到着し、リハビリが始まった。 担当は、T士である。 私は、

 

   「(おや? 前回、確かAさんが『担当のAです』と言っていたのに・・)」

 

と、思ってしまった。 しかし、カードを見ると、

 

   「○曜日:9:40~11:10  (有資格者)

    ○曜日:9:15~11:10  (K)   」

 

とあった。 つまり、週の前半は、理学療法士なら誰でも良い事になる。 具体的には、今回は、T士だ。 こうして、T士による理学療法が始まった。

 

   ―――――――――

 

理学療法が終わると、後は「滑車」と「エルゴメーター」のみだ。 「滑車」のみだと、1~2分で終わってしまう・・ 「エルゴメーター」を加えても、正味、35分で全体が終わってしまう。 後は、待ち時間だ。 室内お見回すと、色々なツールがあるのになぁ・・と、物足りなく思えた。

 

   ――――――――――――

 

続いては、週の後半のリハビリだ。 勿論、担当は K士だ。 彼は、施術途中にこんな事を言った。

 

   「どうですか、リハビリは? 慣れて来ましたら、もう少し増やしましょうか?」

 

と訊いた。 何か、物足りなく感じていた私にとっては、「渡りに舟」だ。

 

   「えぇ、お願いします」

 

と答えた。 きっと、来週から何か増えるのだろう。 楽しみだ。

 

 

ハビリ502-K氏によるリハビリ

 

今日は9月の第一週の後半、N整形外科でのリハビリのある日だ。 朝のお迎えは、9:15だと言う。 週の前半とは異なるOという運転手である。 途中、1人をピックアップして同じ駅前のロータリーに着いた。 すると、O運転士は。

 

s「△△さんは、行ってらっしゃい。 ○○さん(=私)は、そのまま(車内で)チョット待ってて下さい」

 

と言い残して、車外に出て携帯電話を掛け始めた。 きっと受付に到着した旨を伝えたのだろう、暫くして担当者会議にN整形外科から出席したK士がやって来た。 車椅子はなく、本人1人のみである。 彼曰く。

   「車椅子を使わないで、どれ位歩けるかと思って・・」

 

と。 まぁ、私は出来るだけ上手に歩こうとした。 しかし、 エレベーターの入り口の様に、隘路となっている所では、どうしても足がすくんでしまう・・。 オマケに見られていると、余計である。(汗) 

まぁ、今日の結果をどう評価するかは、翌週の朝、分かる。

 

   ―――――――――――――

 

こうして、K士自身のお迎えにより、リハビリが始まった。 私はポケットからハンカチを出して枕に被せ、台の上に仰向けになった。 先ず、 彼は両手で、私の骨盤を開いた。 そして、彼は、こう言った。

 

   「横を向けますか? 向こう側に・・」

 

私は、一旦起きあがってから、再び台の上に横になった、K士に背を向けて・・

 

すると、彼は私の肩周辺から肩甲骨辺りのマッサージを始めた。 暫くそのマッサージを続けると、今度は、脚のストレッチに入った。 具体的には、私の上側の足首を、自分の後方に引いた。 すると、私の脚は、エビゾリになった。

 

ここでK士は肩周辺のマッサージと脚のストレッチを何度か繰り返した。 そして勿論、左右を入れ替えて、行った。

 

いきなり、横向きでの施術は初めてだったが、彼の意図はどこにあったのだろうか? それが分かるのは、もう少し後の事になる・・

 

 

リハビリ501―N整形外科での最初のリハビリ(2)

 こうして、20分間の施術が始まった。 まぁ、やっている事(の本質)は、これまで総合病院でやってきた事と同じである。 唯、異なるのは、

 

   「これは○○のストイレッチです」

 

と説明が入る事だ。 今まで知りたかった事だけに、最初に聞いたときは、感激した。 

 

   ――――――――――

 

さて、施術がおわると、次は「滑車」だ。 この「滑車」と言うのは、床上170cm位の高さにぶら下がっている滑車の筝である。 その滑車の両側から紐が下がり、その紐の両端に、持ち手が付いている。 夫々を椅子に座って持つと、両耳の辺りの高さになる。 その状態で片方を引くと、滑車を通じて、その分もう片方が上がる。 そして、十分なストレッチのために、目一杯上下する。 それを、左右の引く手を換えて、もう一度、逆の手を上げる。 これで1回である。 そして、これを20回繰り返す。

 

   ―――――――――――

 

いよいよ、最後の工程だ。 最後は、エルゴメーター(自転車漕ぎ)となる。 そこで、Aさんは、私を車椅子に乗せ、ウォーキングポールを持って滑車用の椅子からエルゴメーターのサドルに移した。 そして、サドルの位置を身長165cmに合わせた上で、

 

   「前の病院では、何分やってましたか?」

 

と訊いた。 私が

 

   「10分間です」

 

と答えると、彼女はパネルの時間設定を10にし、

 

   「負荷はいかがですか?」

 

と訊いた。 負荷は直前の人が使ったままで、「25w」と表示されていた。 私が、試してみた上で、

 

   「もう少し強くてもイイみたいです」

 

と言ったら、彼女は「+」キーを押し、「26w」とした。 すると、何か急にペダルが重くなった感じがしたので、

 

   「スミマセーン、元に戻して貰ってイイッスかぁ?」

 

とお願いして、「25w」に決定した。 こうして、10分間の「自転車漕ぎ」が始まった。 耳朶に着けた心拍計による脈拍数や、回転速度(r.p.m.)等が表示され、普通に漕ぐと、50 r.p.m.で、90 pulse/分程だった。 不思議なのは、カロリー消費量が93 kcal/時に固定され、この値が負荷量(r.p.m.)とは無関係だった事である。

 

やがて、10分間が経過し、終了音と共に画面が「クールダウン」に変わり、心拍数と回転速度のみが示された。 すると終了音を聞きつけた女性がエルゴメーターを止め、私を車椅子に乗せた、 

 

こうして、初日が無事に終わり、送迎車出来k託した。 帰りは私を含めて、3人だった。

 

印象? ですか??? 兎に角親切である。 まぁ、私が車椅子であるから・・もあるだろうが、それを割り引いても・・

 

え? なぜ助成の理学療法士が「A嬢」でなく「Aさん」なのか・・ですって???

 

それは・・ 私の中では、「~嬢」と言うのは20代までと思っている。 そこで、50代と思(おぼ)しき女性は、「~さん」となるのである。(滝汗)

  

 

リハビリ500―N整形外科での最初のリハビリ(1)  

 

さて、2019年9月からは、介護保険によるN整形外科でのリハビリが始まる。 今日は9月第1週の前半。その初日である。

 

定刻は9:40でるが、9:30に来た! 勿論準備はしてあったので、慌てはしなかったが、まぁ、内心、

 

    「(お迎えの車って、遅くなる事はあっても、10分も早くなるって、あるのかなぁ・・)」

 

と思ってしまった。 それでdも車に乗り、N性消し下sかに向かった。 途中、運転手は、N整形外科に携帯から電話し、

 

   「あ、Mですけど・・ あと、5分くらいで○○さん(=私)が、ロータリーに到着しますので、対応をお願いします」

 

と伝えた。 どうやら、この便に乗るのは、私だけらしい。 

 

やがて車が、駅前のロータリーに到着したので、私が車を降りようとすると、

 

   「○○さんは、ちょっと待ってて下さい」

 

と制した。 私は。

 

   「(なぜだろう???)」

 

と思いつつ、車内に留まっていると、やがて、車のドアが開けられた。 見ると、女性2人と、車椅子が見えた。 そう、私を車椅子で運ぼう・・と言うのだ。 私が車を降り、車椅子に乗り移ろうとすると、そのうちの1人が、

 

   「担当のAと申します。 宜しくお願いします」

 

と挨拶をして来た。 その時、車椅子への移乗に集中していた私は、どこまで挨拶できたのか、記憶がない。 こうして、エレベーターに乗り、N整形外科に到着した。

 

   ――――――――――――

 

ここでは下足を脱いで、リハビリをやるので、私が脱ごうとしたら、Aさんがやってくれた。 Aさんは、台の傍まで車椅子を着け、私に台に移るよう促した。 すると、彼女は、ウォーキング・ポールを台の下に置き、車椅子を片付け、戻って来た。 そして、台に上がり、改めて挨拶を交わした後、私に仰向けに寝る様指示した。

 

そこで、私はポケットから大き目のハンカチを出し、枕の上に敷いた。 これは、リハビリ開始時に、(かつての総合病院でのリハビリでは、施術の直前に台と枕を、消毒薬を含んだ不織布で清拭をしていたが、)ここ、N整形外科では清拭しないので、患者は自ら、ハンカチや小さなタオル地の布片を持参している。 この事は、見学の時に知った。

 

さあ、いよいよ施術の始まりだ!

 

 

手摺りの取付け工事  

 さて、2019年の9月になった。 今月最初の行事は、「手摺りの取付け」である。 確か、担当者会議の時、Y社のO氏は、

 

   「日程は、大工さんと相談して、調整させていただきますが、朝の9時頃着いて、1日で終わる予定です」

 

と言うような事を言っていた。 そこで当日、待っていると、8時56分に車が入ってきて、色々と道具や材料を確認・準備して、我が家の玄関のドア・チャイムを鳴らしたのが、9時丁度であった。 

 

何も私はそこまでpunctualityを求めた事はなかった。 自分のなかでの「9時頃」とは、9時マイナス5分からプラス10分位であるが、きっと近くで時間調整をしたのであろう。 いずれにせよ、好印象である。

 

さて、取付け場所は決まっているので、我々が言う事はない。 早速、始めて貰った。 すると、彼は私に手摺り位置に立ち、その高さを決めた。

 

   「83cm、ね!」

 

と言って、工事を始めた。 そして、家の中に、電動ドライバーの音が響いた。

 

   ――――――――――

 

10時のお茶の時、トイレに行く途中、工事の様子が見えた。 工事箇所の下に、布を敷き、何か落ちてもフローリングを傷付ける事はない様、気を付けているのが分かる。 それに、ハンディークリーナーを持っているので、木屑の1片も落ちていない!

 

11時頃、彼は、

 

   「(手摺りの設置)工事が終わりました」

 

と言って来た。 すると、妻が、

 

   「随分、早いですね? 1日掛かる・と聞いてましたが???」

 

とツッコミを入れた。 これに対して、彼は、

 

   「実は、時間があったので、板なんかは、(予め)工作して来たんです」

 

と答えた。  一般的に、道具がどこにあるか分かっている方が効率が高いので、慣れた場所で作業を済ませた方が、製作工数が下がり、全体としてコストが下がる。

 

   ―――――――――― 

 

では、具体的に見て行こう。

 

先ずは、鉛直に付く2つを見てみよう。 出入り口に付く一般的なものだ。 

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190924/20190924173 415.jpg

 

一緒に付いている板は、力を分散させるためであり、壁紙の下の石膏ボードを支える桟の位置が分からない時、有効である。

 

次は、コーナー用だ。 どちら側からでも、リーチしやすい。

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190924/20190924173431.jpg

 

最後は、水平に付くもので、一番長く、廊下に付く。

 

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190924/20190924173501.jpg

 

尚、鉛直・水平設置のいずれにも、握った時に滑らない様、裏側に段々(=滑らかな凹凸)がある。

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190924/20190924180235.jpg

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190924/20190924173516.jpg

 

以上それぞれ数ヶ所ずつ設置して、約18万円。 自己負担は、1割の、18,000円とチョットであった。

 

夏野菜の収穫

さて、今年は「夏野菜の準備」、「同(続)」で紹介した野菜も旬を過ぎたが、その様子を紹介しよう。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2019/06/12/082308

 

先ずは玉葱であるが、去年からチャンと施肥をしたので、大きな玉になった。 軒下に掛けてあるものから、数個を外して、外側の皮を剥いた。

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190919/20190919173247.jpg

 

そして、全部を刻んで、油を敷いたフライパンに入れ、

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190919/20190919173249.jpg

 

そして、加熱して行く。

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190919/20190919173252.jpg

 

更に炒めると、飴色になって来る。

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190919/20190919173254.jpg

 

もうメニューはお分かりだろうか? 何かのルーである。 答えは

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190919/20190919173256.jpg

 

そう、カレーである。 勿論、人参もじゃが芋も自家製だ。 人参は去年の7月に蒔いたもの。 じゃが芋は今年の3月に植えた新じゃがだ。

 

味? ですか??? 大自然の中で浴びた太陽の恵みを玉葱が旨味に変え、玉に蓄積したその旨味が、ネギのりん片に凝縮している・・と言う味だ!!!

 

   ――――――――――――――

 

では,盛夏には? 下記はある日に収穫した野菜である。


   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190923/20190923081130.jpg

 

ナス・きゅうり・トマト(黄色いミニと赤い中型)、ピーマン、冥加(=みょうが)、南瓜­

(=かぼちゃ)である。 どうです、立派でしょ! 特に南瓜が!?! 今年は1本だけ、苗を買って見た。 そうしたら、どんどん茎が伸び、次々と雌花を次々と付けていった。

 

そんな訳で、大きな南瓜が10個以上採れた。 市販価格を1個500円とすると、50倍以上である!?!

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190923/20190923081416.jpg

 

所が同時に植えたスイカは、殆どならなかった。 同じ家庭菜園仲間も、矢張り、南瓜が豊作でスイカがダメだった・・と言う。 彼の分析では、「7月に、雨が多かったからなぁ」と言う事らしい。 では、これらの野菜をどうって、食べるのか? 

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190923/20190923081741.jpg

 

まぁ、見れば分かるが、上から右回りに南瓜の煮物・キュウリの漬物・トマトは生・ナスの味噌炒めだ。

 

盛夏も後半になると、 トウモロコシが採れる様になってくる。 茹でたてのスイートコーンは甘くて旨い! しかも採れ始めの頃は、中身がビッシリと詰まっている。

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190923/20190923081719.jpg

 

それでも、終わりの頃になると、実(粒)が瘠せて来る。

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190923/20190923081528.jpg

 

最後にオクラを紹介しよう。

 

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20190923/20190923081310.jpg

 

我が家にはオクラの苗が4本ある。 そこで、毎日3~4本のオクラが採れる。 つまり、2日に1度はオクラが食べられる。 そのまま、オリーブオイルで炒めて塩コショウも美味しいが、豚ロース肉を巻いて焼肉のタレで焼いても美味しい。

 

気功56

 

8月末に気功の施術を受けた。 前回は、(日記にはしなかったが)7月末だったので、1ヶ月ぶりだ。 従来は2ヶ月おきだったが、間隔が短くなったのは、この所の体調の変化を心配しでの事だろう。 そこで、妻の運転で出掛けた。

 

気功師宅に着くと、彼女が玄関で待っていてくれた。 彼女の案内で、玄関に入ると、何か違和感があった。 その違和感の正体は?

 

それは、家の中が、「シーン」としている事である。 いつもなら、「キャンキャン」と言う小型犬の鳴き声がするのであるが・・ 当時は、

 

   「(キャンキャンと、うるさいなぁ)」

 

と思っていたっが、いなければいないで、寂しいものである。

 

さていつもの施術室に入って、改めて挨拶をして、施術用の布団にうつ伏せになった。 すると、早速気功師は、右に回る水晶を右手で持ち左手を私の背中に翳(かざ)した。 その後、私の頭部から臀部の辺りまで、翳した手を動かして行った。 これを50分程やったら、彼女は、私に

 

   「仰向けになれますか?」

 

と訊いて、私にうつ伏せから仰向けになる様、促した。 そして、10分程施術をして終えた。

 

   ―――――――――――――

 

その後、彼女が紅茶とスイスロールを運んできてくれて、それらを頂きながら、5O分程色んな話をした。 例えば私の体調について、

            

   「細胞の活性が落ちている。 (だから)気を目一杯入れておいたからね」

 

   「血圧は、上が134の、下が79ね。 ん、今まで、130台ってあったっけ? (と言いながら、ノートを捲り、)あぁ、130の時があったわねぇ・・」

 

等のコメントをくれた。 さて、夏らしい話題を・・

 

妻が気功師に、普段から疑問に思っていたことを訊いた。

 

   「あのぉ・・ 先生って、いつごろから霊が見える様になったんですか?」

 

これに対して、気功師は直接は答えず、自分の師匠であるK気功師の事を答えた。 きっと、K気功師に私淑していた頃なのだろう。 ただし、

 

   「同じ気功師でも、霊が見える人と見えない人がいるみたいよ。 事実、K先生には見えず、『そうかぁ、君には見えるんかぁ・・』と言っていたわよ!」

 

と言う事らしい。 これに妻がツッコミを入れた。

 

   「じゃあ、センセ、空中に漂っているのが、見えるんですか?」

 

   「勿論、見えるわよ・・ 特に病院とかには、ウヨウヨいるわ!!! そして、取り付く人をさがしているのよ」

 

   「ヘェー・・」

 

   「だから、私は病院には、絶対行かないの・・ 先日もある人から入院中の友人のお見舞いに誘われたけど、とんでもない!!!」

 

と手を横に振りながら、彼女は続けた、

 

   「結局、その人に『お見舞い(金?)』を持ってってもらったわよぉ・・ だって、こう言うことがあったのよ。 ある時、一人で知人のお見舞いに病院に行った帰り! 丁度来たエレベーターに乗ったら、一人だったの・・ そして私は、1階まで降りて帰ろうとしたの。 すると、なぜか、エレベーターは、地下1階まで行ったみたいなのよぉ。 ほら、自分は1階のボタンを押したので、違和感を覚えながらも『(1階の)エレベーター・ホールの裏側に出ちゃったのかなぁ・・』と、エレベーターを降りて、反対側に行こうとしたわ。 そしたら、完璧、道に迷っちゃったみたいね? 

 

先ずは自分の所在を確認しなけれはならない・・と思って、部屋の表示を見たの・・ すると、『霊安室3』、『霊安室4』となってるのよ! ここに至って、私が地下1階に迷い込んでしまった・・と分かったの! そう言えば・・ お線香の香りがする事に、改めて気付いたわ。 

                                        『霊安室3、4』と言う事は、『1、2』がある・・と思って振り返ると、霊が3~4体、こちらに向かって来るのが見えたの・・ まるで、憑依(ひょうい)する相手を探しているみたいなのよ! 私は、驚いて、反対側に逃げて行くと、足が見えたの。 私は、その人に、

 

   『出口は、どちらでしょう?』

 

と訊くと、その人は振り返って私の方を見たの。 すると・・ その人は顔がないのよ! もう、私は

 

   『キャー』

 

と言う声すら出ない程、ビックリして、心臓が止まるかと思ったわ・・ 

 

===(と言うのは私の創作でした。 数行戻って)===

 

   『出口は、どちらでしょう?』

 

と訊くと、その人が教えてくれたの。 その通りに行くと、階段を上った先に、通用口っぽいドアが見えてきたの! 私が建物から出て、ドアを閉めると、もう霊はドアから白昼にまでは追っかけて来なかったわ!!!」

 

と。 そして、彼女は私達に

 

   「貴方達には、(霊が)見えないのよね?」

 

と確認する様に訊いた、 羨ましそうに・・