パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

リハビリ397―「えぇ、未だ少し・・」

 2017年10月下旬の今日は、今月4回目のリハビリの予約日だ。 そこで、妻の運転で総合病院に出掛けた。 私は妻から病院の診察カードを受け取り、正面玄関から入った。 そう、再来機(再診来院受付機?)で「受診案内票」を出力するためだ。

 

つまり、従前、妻が駐車場に車を置いて玄関の近くの再来機で受診案内票を出力し、その傍で待っている車椅子の私をピックアップして外来リハビリ室に行くためには、その途中にあるエレベータの所まで戻らないとならなかった。 そこで、私が受診案内票を持ってエレベータまで行けば、彼女の移動距離も必要時間も最短となる。

 

しかしそのためには、車椅子の私が正面玄関からエレベータまで、行かなければならない。  まぁ、車椅子の扱いに余り習熟していないので、ウッカリすると却って遅くなってしまう。 これを避けるためには、私がある程度早く進めなくてはならない。 そのためには、車椅子に乗らないで、押す事だ。

 

幸い、当日は体調も良く、押せそうな気がした。 事実、再来機での出力やエレベータの手前まで、押せた! ただ、なぜ体調が良いのか、不明であった。 え? 服薬時刻??? しかし、偶々この日は、朝の服薬を忘れてしまっていたのだった。 そのため、当時有効だったのは、血中半減期の長いノウリアスト(59.1±27.0時間)とトレリーフ(62.9時間)位である。 

 

まぁ、それはさて置き、リハビリ前の代診による医師の診察時、

 

   「どうですか、脚の具合は?」

 

と訊かれた。 いつもは、

 

   「体調は、いかがですか」?

 

とのみ訊くので、どう答えたら良いか戸惑っていると、妻が

 

   「いつもと、変わらないみたいです」

 

と代返してくれた。 私が、急には声が出ないのを知っているから・・だろう。

 

こうして我々が、受付前の椅子に座って待っていると、

 

   「少し早いんですが、イイですか?」

 

とI士が声を掛けて来た。 時計を見るとまだ10分前である! 

 

実は,我々が受付前に到着した15分前には受付のブース内に彼の姿があり、偶々目が合った妻が会釈をしていた。 そして私がトイレを済ませて椅子に腰掛けて、少し落ち着いた頃に声を掛けて来たのだった。

 

今にして思えば、予約時刻の15分前に彼が受付ブースにいたのは、我々の直前の行事がキャンセルのなった事と、我々の到着を確認するためであったからかも知れない。

 

   ――――――――――――――――――

 

さてリハビリ室に入る時、I士は私の体調について、こんなコメントをした。

 

   「何か、調子イイみたいですねぇ・・」

 

これに対して、実際その通りであっても、夕べの服薬が最後とも言えず、私は唯、

 

   「えぇ・・」

 

と曖昧に答える事しか、出来なかった。

 

   ―――――――――――――――――――

 

こうして、リハビリ室に入り、空いている台を探して施術が始まった。 先ずは仰向けで下半身と上半身のマッサージとストレッチを行い、続いてうつ伏せになった。 そして、「犬・猫のポーズ」をこなし、四つん這いになった。 私はまだ、左膝が痛かったので、左手と右脚を上げる時に躊躇していたら、

 

   「あっ! 左膝は、まだ痛いですか?」

 

と思い出した様に、訊いて来た。 そこで私が、

 

   「えぇ、未だ少し・・」

 

と答えると、彼は

 

   「じゃあ、止めときましょう」

 

と言って、再び仰向けになった。 彼は、

 

   「チョット、お待ちください?」

 

と言って、タオルを取りに行った。 そう、首のストレッチである。 またこれが、気持ちイイのだ! (因みに、私は肩凝り持ちではない。)

 

その後、台を降りて靴を履き、脚を高く持ち上げる練習をした。 勿論、これが続く歩行練習の予備運動なのは、最近、やっと(!)理解したのである。

 

   

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今回の歩行上の指示は、

 

   「大きく、大きく・・」

 

であった。 姿勢保持障害があるので、意識しないと片足になった時に保持できず、直ぐに反対側の足をついてしまう。 すると、チョコチョコ歩きになってしまうのだ。

 

そうこうしている内に、時間になった。 定刻までやってくれたので、開始時刻が10分早い分、「得をした」印象である。

 

アメリカシロヒトリ

 

今年は、ヤケに毛虫が多い。 先日右手をやられた「イラガ」の幼虫も、その一つである。 

 

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しかし、イラガは毒を持っているものの、それ程増殖力は無く、植物に対する影響は限定的である。

 

それとは逆に、毒は無いが植物に対して甚大な影響を持つのが、アメリカシロヒトリだ。 例えばその食欲と繁殖力は、物凄い。

 

   http://www.pref.nara.jp/10709.htm

 

事実、甘柿は丸坊主になってしまった。 勿論、近所の樹木もやられている。 

 

   ――――――――――――――――――――

 

では、防除方は? 確実なのは、スミチオンの1000倍希釈液らしい。

 

   http://www.greenjapan.co.jp/smichion_n.htm

 

例えば、柿のアメリカシロヒトリに対しては、1000倍液を散布せよ・・とはあるが、「収穫45日前まで」、「3回以内」と言う使用制限がある。 他の野菜類に対しては、殆んどが「収穫14日~21日前まで」となっているのに、なぜ、柿では45日前までなのだろう。 

 

尚、スイカやメロン等、皮が厚く皮を食用にしない果実については、それぞれ「収穫3日前まで」・「収穫前日まで」となっている。 まぁ、納得できる。 であるなら、ナス・キュウリの「収穫3日前まで」・「収穫前日まで」と言うのが意味ワカメだ。 まさか、ナス・キュウリに付着したスミチオンは、特別に分解されやすい・・なーんて事は無いだろう?

 

ま、脱線したが、アメリカシロヒトリに対しては、「スミチオンの1000倍希釈液」で良い様だ。 では、どうやって樹木に散布するのか? これはもう、動噴しかないだろう。 勿論、完全防備の上で・・

 

では、「いつやるの?」、「あとでしょ!」・・と言う事になる。 と言うのは、10月中旬は秋雨前線が居座っていて、雨が続くばかりか下旬にかけて台風21号の上陸すら、懸念されていた。

 

と言うのも、一生懸命散布しても、降雨により効果は半減してしまうものと、推察しているからである。 それに、柿の収穫時期が45日以内に来てしまう・・

 

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所で、アメリカシロヒトリはその名が示す様に、米国に由来するらしい。 戦後の米国からの軍需物資に付着していたと言う。 日本では、1945年に東京で発見されたのが最初とされている。 (下記URL参照)

 

では、米国では大量発生して、樹木を食い荒らしているか・・と言うと、そんな事は無いらしい。 すると、なぜ日本ではこれ程の大量発生したのか? それは、日本にはアメリカシロヒトリを捕食する小鳥やアシナガバチが少なかったから・・らしい。

 

そう言えば子供の頃、夕方になると、数十羽、否、数百羽のスズメが三角形の隊列を組んで、空を覆いつくして移動する様子を良く見たものだった。 それが、最近はどうだろう。 スズメが電線に停まっている姿すら、見なくなった。 その原因は、Silent Springのそれと同じだろう。 もう一つ例えれば、アメリカシロヒトリの幼虫を排除すると言う事は、それを主食とするシジュウカラも排除する事に、他ならない。

 

アシナガバチも「有害昆虫」として駆除される様では、日本でのアメリカシロヒトリの大量発生の責任は自然のバランスを壊した我々・日本人自身にあると言わざるを得ない。

 

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と言いつつスミチオンを使う様では、言っている事とやっている事が違う・・と言行不一致の指弾を受けそう・・ であれば、こんな方法(せっけん液の撒布←下記URL)もある。

 

   https://matome.naver.jp/odai/2136962797608415401

 

リハビリ396―膝の痛み

今日は10月中旬、今月3回目のリハビリのある日だ。  そこで、妻の運転で総合病院に出掛けた。 M医師の予診を受けて待っていると、I士が声を掛けて来た。 そして、リハビリ室に入りながら、I氏の質問をキッカケにして、こんな会話が続いた。

 

   「どうですか、調子は?」

 

   「えぇ・・ まぁ、調子の方はイイんですが、膝が痛いんです。」

 

   「・・」

 

「実は、夕べ、脱衣場でバランスを失って、左膝を床に・・」

 

すると、脚の施術の時、一々

 

   「どうでうすか、痛くないですか?」

 

と訊いてくれた。 私が痛いのは膝関節でなく、膝のすぐ下の打ち身(圧痛)なのであった。 丁度、痣(あざ)の様に・・

 

やがて施術が進み、I士は私に

 

「四つん這いになれますか?」

 

と訊いて来た。 すると、左膝に体重が掛かるので、痛くて出来なかった。 I士は私に

 

   「痛いんなら、止めときましょう。」

 

と言って、四つん這いでの、トレーニングは中止した。

 

さて、本日の重点ストレッチであるが、いつか実施した「上半身の柔軟性」である。 

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2017/10/20/094308

 

彼は私の後ろに廻り、背中のほぼ中央の高さに水平に置いて、

 

   「私の腕に寄りかかって、腕を支えにして後ろに反って下さい?」

 

と、案内してくれた。 その後、彼が私の正面に戻り、

 

   「じゃあ、左右に曲げてぇ・・」

 

と言うので、私が自分の拳を脇腹の上の方に当てて、曲げた。 すると彼は、反対側の腕も付ける様、アドバイスした。 つまり、例えば右に曲げる時、右手を拳にして自分の右脇腹の上の方に付ける。 更にこの時、左腕を自分の頭上に持って来て、覆い被せるのである。 これにより、一層、曲がる様になる。

 

するとI士は私に、こう告げた。

 

   「左右には、良く曲がっています。 が、後ろには、不十分です。 これが出来ないと、(体の前後のバランスが取れず、)突進してしまうんです」

 

と。 ナルホド、彼が上半身の柔軟性に拘っていたのは、単に当該部位の固縮予防だけでなく、その様な意味もあったのだ。 それを知ると、何か身近な目標が出来た様な気がして来た。

 

イラガ

 

皆さんは、イラガの毛虫に刺された事はありますか? 私は、今回、初めて刺されました。 では、その経緯と顛末を紹介します。

 

10月上旬の某日、フと家の前のベニカナメの葉の一部が葉脈だけになっている。 それも赤い新芽でなく、緑の葉である。 これはきっと何か、虫に食われたに違いない・・と思った私は、剪定鋏で切り落とし始めた。 始めは外側から葉脈だけの葉を付けた小枝を落とし、続いて内側から同様の小枝を落として行った。

 

すると、切っている途中、手首がチクンとした。 私は、

 

   「(さっき切った外側の枝の切り口が、当たっているのだろう)」

 

と思い、別に意に介さなかった。 しかし、他の枝を切っても、同じ場所が痛い! これは変だ・・と思って、手を見ると、痛い場所には傷も無い!?! しかも、何も触れていないのに、まだ痛い・・

 

と思い、葉を良く見ると、緑色の毛虫が2匹いた。 長さ12mm×直径3~4mm位の小さな毛虫が、保護色の(緑の)葉の上に乗っていた。

 

   https://tse1.mm.bing.net/th?id=OIP.4kDWRaHtirq5q7jt0iObhwEsDh&pid=Api

 

私は異常を感じ、家に入って石鹸で手を洗った。 これは、チャドクガの毛虫にやられた時の経験からである。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2015/10/06/075110

 

見ると、人差し指にも小さな隆起が4つ程ある。 私は、手首と人差し指の隆起部に液体ムヒ(抗ヒスタミン剤)を塗り、乾いたらその上から更にフルコート(抗炎症剤)を塗った。

 

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処置が終わり、インターネットで色々と調べた。 その昔、会社の先輩が

 

   「アレに刺っされると、いてーんなぁ・・」

 

と言っていた、「デンキムシ(電気虫)」を俗名に持つ、恐怖の「イラガ」の幼虫の事である。

 

で、症状は? 急性の痛みが30分程あり、その後思い出した様に3日程痒みが残った。 しかし、水疱等の瘢痕を残す事なく、今ではどこを刺されたのかは、記憶にしかない。 インターネット上には、「その痛みは1時間続き、痒みは1週間残り、痛さは10年間忘れない」と書いてあった。 

 

どうも、私の場合は、軽かった様である。 きっと、日齢の少ない(=若い)幼虫だったからかも知れない。 と言うのは、その10日程して再度見た時に、もう1匹発見したからである。

 

その1匹は、長さ15mm×直径7~8mm程に、丸々と太っていた。 しかも、毛もハッキリしていた。 

 

「(きっとこう言う奴に刺されると、本当に1時間、痛み続けるかも知れない)」

 

と思うと、怖くなり、毛虫の付いた小枝ごと切り落とし、足で踏み付けた。

 

   https://media4.picsearch.com/is?3i9KqS4Q88_BXX9pPSSTsgS0qMeDHbRJrtvRcShdo6s&height=100

 

後でピレスロイド系の殺虫剤(例:エトフェンプロックス製剤)でも撒いておこう・・ 

 

リハビリ395―I士の気遣い

 

2017年の10月、今月は5回のリハビリが予定されている。 今日は10月上旬、2回目のリハビリの予約日だ。 そこで妻の運転で総合病院に出掛け、M医師の予診を受けて待っていると、担当のI士が声を掛けて来た。

 

私は、待合用の椅子から立ち上がり、I士と共にリハビリ室に入る予定だった。 しかし、どうも足が上手く出ない・・ 何か、調子悪いのだ。 原因不明。 薬はいつも通り服用しているし、特別、疲労に繋がる様な事もしていない・・

 

そんな私の歩く様子を見て、分かったのだろう。 I士は私をエスコートしながら、リハビリ室に入り、空いている台を探して、私の杖を持って台の下に置いてくれた。 いつもは、私が自分で置いていた。

 

   ――――――――――――――――――――

 

先ずは施術前に、私はI士に右腰が痛い旨を伝えた。 と言うのは、ほぼ5日前に自宅の室内で後方転倒しそうになり、慌てて両手で柱と襖を押さえたが、丁度そこにあったピアノ用の椅子の角に、右尻が当たってしまったのだ。 爾来、COBIX-100と湿布薬のお陰で9割程程治っていたが、念のためである。

  

彼は、右尻に負荷が掛かる様な場合は、必ず

 

   「どうですか、痛く無いですか?」

 

と訊いてくれたし、また、それ以外の時も私の顔を見ていたのが分かった。 唯、現実には痛い事は無かった。

 

   ―――――――――――――――――――――

 

で、彼の今日の仕事は、私の「歩容の改善」である。 彼は、先ずは私に靴を履く様、指示し、左右の足で片足立ちをさせた。 その後、その場での足踏みをしたが、どうも段々と早くなってしまう。 すると、彼は

 

   「一歩一歩、片足立ちする様に」

 

と言った。 そうなのだ、片足立ちはバランスチェックが目的でなく、姿勢保持の予備的な練習のためだったのである。

 

そしてI士の指示を受け、私はそのまま歩き出した。  勿論、彼は私の「背後霊」になって・・ 

 

暫く歩いていると、彼は私に、先ず足を高く上げる様、続いて左右に体を揺らす様、指示した。 例えば、右足を出す時は、体を右に傾けて右足に体重を乗せる。 そして、そのまま体重を乗せたままにする気持ちで、姿勢保持をする。

 

確かに左右に揺れ過ぎると歩容は変になるが、うん、これなら安定して歩ける! まぁ、歩容の改善をする前に、安定歩行である。

 

診察201710―3

 

こうして(1日分の)処方が決定した。 そしてF医師は、

 

   「これで徐々に(トレリーフを600mg/日まで)増やして、この3ヶ月程やってみましょう」

 

と言い、エクセグランのページも示した後、こう説明した。 尚、そのページには抗てんかん薬が並んでいた。

 

   「(抗パーキンソン病薬の)トレリーフと(抗てんかん薬の)エクセグランとは、同じゾニサミドなんです。 そしてエクセグランとして使われる時は、600mg/日まで使えるんです。」

 

   「てんかんパーキンソン病の人がエクセグランを服用したら、パーキンソン病の方も良くなったんですよ」。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2017/09/13/105410

 

つまり、こう言う事だ。 先ずトレリーフとして25mg/日を4週間程、試用する。 そして次の4週間は、50mgに増量する。 更に次の4週間は、エクセグランとして100mg、そして最終的には同600mg/日にする・・と言うものである。

 

うん、確かに薬理学的にはその通りだろう。 しかし、問題は保険適用である。 保険では、トレリーフは50mg/日までしか認められない。 そこで、エクセグランを用いると、600mg/日まで使用可能である。

 

   ―――――――――――――――――

 

但し、エクセグランの効能・効果として、抗パーキンソン病は(保険では)認められていない。 保険適用となるためには、例えば「てんかん」と、診断しなければならない!?!

 

勿論、保険を適用しなければ良いのであるが、割と新しい薬なので薬価も高く、後発品も無い。 しかも、指定難病医療給付の対象にならない。

 

この矛盾を解決するには、どうしたら良いのだろう・・ まぁ、私が「てんかんの症状がある」と言えば良いのだろうが、すると運転免許証の更新が不可能となる(かも知れない)。

 

まぁ、次回診察日・当日の処方を見るとしよう。

 

こうして、次回の診察日を4週間後にお願いして、本日の診察を無事に終え、帰路に・・ 帰路に・・ そうそう、まだ処方薬がまだだ。 そこで、病院近くの薬局に行き、処方箋を出した。 所が結構混んでいて、結局、50分程掛かった。 今日の全行程のなかで、一番待ったのだった。 もし、薬局が近かったら、一旦帰宅したい所である。 事実、番号が呼ばれても、誰もピックアップしない薬袋がいくつもあった。

 

もし、家の近くの薬局で全て揃うなら、直ぐに帰宅出来るのに‥と思ってしまった。

 

診察201710―2

 

F医師は、私が提示したメモの一行・一行に筆記用具の先を当てながら、精読して行った。 とくに、英文の論文タイト部分は、単語一つ・一つにペン先を当て、確認しながら読んでい(る様に見え)た。 私だったら見栄を張り、英文の行に沿ってペン先を素早くなぞるだろうな・・と思った。

 

さて、論文タイトルを読んで、F医師はこんなコメントをした。

 

   「う~ん、確かに30年位前までは、抗うつ薬が使われていた事がありました。 それは、抗うつ薬が、??を活性化する事を期待して・・」(注:??は不明の意味)

 

確かに、論文の出始めは、今からほぼ30年前・・ 以降、使われなくなったのは、これより有効な薬剤が開発される中で、淘汰されて行ったのだろうか? もしそうなら、具体的に進行性核上性麻痺に有効な薬剤とは、一体、何なのか???

 

では、私からの提案(希望処方)を「古い」と決めつけたF医師はどうしたのか?

 

F医師は、別の提案を出して来た。 それは、トレリーフであった。 彼は、

 

   「今までトレリーフは使った事は無ですよね?」

 

と言いながら、彼はモニターで過去の処方を確認した。 そして赤い厚い冊子(処方薬辞典?)のパーキンソン病関連のページを開き、一つの図を示した。 それはドーパミン作動性のシナプス(神経接合部)の拡大図であり、色々な抗パーキンソン病薬の作用部位を模式的に示したものであった。 

 

で、F医師はプレシナプテックナーヴの下にある「トレリーフ」の文字を丸で囲んだ。 そこから、神経細胞のL-DOPAに矢印が伸び、「L-DOPA合成促進」(作用)により、効果を発揮する旨の事が添えてあった。

 

私はその図(トレリーフ作用点)を見て、疑問を持った。 と言うのは、その上にはL-DOPAが書いてあり、過去L-DOPA製剤(マドパー配合錠)を、5錠/日まで増量服用しても無効であり、処方を中止してしまった経緯があったからである。 即ち、進行性核上性麻痺の内、少なくとも純粋無動症にはL-DOPAを増す事に、余り意味は無い・・と考えられるからである。

 

まぁ、臨床上は「試して見なければ分からない」事は、山程あるのだろう。 試用する価値はありそうだ。 それに、ノウリアストの例もあるし・・

 

    ―――――――――――――――――――――――

 

すると、F医師は、

 

   「じゃあ、最初は25mgを1錠にしましょう。 朝? 夜?」

 

と訊いて来た。 勿論、服用時刻の希望を訊いているのである。 朝は既に5種類服薬しているので、私は、

 

   「夜で(お願いします)」

 

と答えた。 更に、彼は、

 

   「セディールは、どうします?」

 

と訊くので、私は不要の旨を答えた。 結局、今回の処方は下記の通りとなった。

 

 

処方(1日当たり)

    薬  剤

   本日まで

 

   本日から

 

プラミペキソール0.125mg

     1  錠   

     1  錠   

ドプス 100mg

     6  錠   

     6  錠   

ノウリアスト 20mg

     2  錠   

     2  錠  

シンメトレル 50mg

     4  錠   

     4  錠  

アムロジピン5mg

     1  錠   

     1  錠  

 

 

   

レリーフ 25mg

     0  錠  

     1  錠   

セディール 10mg    

     1  錠  

     0  錠