パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

診療005―(2)

 

メモの内容は」、続く。

 

(2) トリプタノールの排尿に対するに作用ついて  

 

④ トリプタノールの処方(10mg×1錠)を就寝直前に服用したが、体調に変化はなかった。

⑤ トリプタノールの処方(10mg×2錠)を就寝直前に服用したが、排尿状況に変化はなかった(回数=5、切迫度=強)が、翌朝、足がすくんだ。 所が、その晩は、改善した(回数=2.切迫度=微弱)。  但し、すくみ現象は、相変わらずであった(=続いた)。

(3) 血圧の測定結果について  (アムロジン処方の結果の検証)

 

⑥ 前回診察日(12月3日)~昨日(1月6日)の起床時及び就寝時の血圧は、次表の通りであった。

 

 

 

 

起 床 時

 就 寝 時

有効件数

27

27

27

27

27

27

項目

最高血圧

最低血圧

脈拍数

最高血圧

最低血圧

脈拍数

 

mmHg

mmHg

pulse/min

mmHg

mmHg

pulse/min

平均値

136

84

63

127

81

69

標準偏差

6.0

5.6

4.7

5.8

6.1

6.6

最高値

148

99

81

138

92

80

最低値

124

75

55

112

69

51

以上

  

これらの報告を読み、血圧については、

 

   「上手くコントロールされているみたいですね」

 

と評価した。 さて、肝心の処方であるが、

 

  ドプス               600mg            分3 毎食後

  シンメトレル         300mg            分3 毎食後

  トリプタノール       20mg            分1 夕食後

  アムロジン           5mg             分1 朝食後

 

である。 従来の処方と比較して、トリプタノールが増えた。 勿論、その抗コリン作用により、頻尿を抑制する。 しかし、これは私の場合、脳内セロトニンを増し、私の症状を悪化させた経緯がある。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2018/12/19/092041

 

ただ、私の処方して欲しい薬は、私の歩行障害を改善してくれるものである。 まさか、パーキンソン病の大御所が、ドプスとシンメトレル以外にネタ切れ・・なーんて事は無いだろうが?? もしあれば処方してもらう様、次回の診察時にお願いしてみようかなぁ・・

そして、診察室を出る時、f医師が私の背中に向かって言った。

 

   「余り、自分で何でも出来る・・と思わないで下さいね。」

 

と。(これは、診療005―201901(1)【 http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2019/01/21/113741 】の、最後の文章に対応している。)

 

   ―――――――――――――

 

では、別の義妹が引き受けた義妹の子供は? 

 

聞けば、ファミレスのガ〇トでランチをしていた時はご機嫌だったそうだが、それ以降は、メソメソしていたらしい。 まぁ、もっとも早朝から救急車に起こされて、昼寝もしていなければ、無理もない。

 

その夜、別の義妹が、義妹宅の送り込んで、「お爺ちゃん」(義妹の義父)の葬儀は、一件落着となった。 こうして、義妹家の長い長い2日間が終わった。

 

 

診療005―201901(1)

  • さて、1月上旬の今日は昨夜の通夜に引き続き、午前10時から告別式があると言う。 しかし、丁度、f医師の診察日・診察時刻とバッティングしてしまった。 次の診察日では、薬が不足する。 そこで、我々夫婦が昨晩まで預かった子供を、別の義妹に託す事になった。 まぁ、車で10分あればクリニックに着けるので、9時45分までに我が家に来るようにお願いしておいた。 すると、本当に9時42分頃到着した。 そして、我々は子供を(別の)義妹に託し。定刻にクリニックに着いた。

     

    暫く待つと名前が呼ばれて診察室に入ると、f医師が早速、口を開いた。

     

       「どうでしたか、調子は?」

     

    私は、

     

       「余り良くありませんでした」

     

    と答えながら、いつものメモを渡した、 そこには、次の様に書いて置いた。

     

       ―――――――――――――――

     

    (1) 前回受診日(2018年12月〇日)以降の体調について 

     

         ②―1 12月上旬の夕方、自宅の室内で立位だったが、後ろバランスになってしまった。 このままでは転倒すると思い、しゃがんで体勢を低くした。 しかし、後方へのバランスは変わらず、後方に転回してしまった。 その時、時、運悪く柱の角に後頭部を打ってしまった。 これにより、後頭部から出血したが、翌朝には完全に止血したので、洗髪した。 
  •     ② ―2 12月中旬の夜中、トイレに起きて、トイレの照明の電源スイッチを入れようとして右手をスイッチに伸ばした瞬間、バランスを失い、床に右手を着くも上半身はオーバーランをしてしまい、顔面制動。 左鼻翼の下方の左唇を、1.5cm程、切ってしまった。 (犬歯が八重歯になっているため。 また、口内出血は無かった。) 

 ③ 全体的に歩行障害が進行し、特にすくみ足が酷くなった。 また、立位保持が困難になって来た。

 

   ―――――――――――――――

 

f医師ℍは、転倒の様子の所を熱心に観ていた。 

 

そして、妻が如何に私の症状が悪くなっているかを、f医師に訴えた。 また、如何に私が何も出来ないのに、「出来る」と思い込んでいるかも訴えた。(この事が、帰り際のf医師の言葉の元となる。)

 

通夜

今日は、お爺ちゃん(義妹の嫁ぎ先の義父)の通夜の日だ。 元々、義妹から、

 

   「午後4時の『野辺の送り』から子供を預かって?」

 

と言われていた。 しかし、大変そうなので、午前中から預かる事とした。 これには、もう一つの理由があって、もし午前中から預かれば、妻だけでも通夜に出席できるからである。

 

そこで、妻と私は、子供をピックアップに行った。 久しぶりに義妹の家に行くので、勿論、ナビ頼りである。 午前10時前には義妹宅に着いた。 義妹の旦那(義弟)は、救急車に乗って自分の母親(義妹の義母)を総合病院に送って、未だ戻らない・・ きっと、色々と入院手続きや検査の介助をやっているのだろう。

 

その後、病棟の看護師に、

 

   「今日、自分が施主となって通夜を、明日は告別式を行わなければならない」

 

旨を言って、母親(義妹の義母)への行き添いを看護婦に託して帰宅したと聞いた。

 

   ――――――――――――

 

これで、取り敢えず安心である。 子供は、我々夫婦に預け、お婆ちゃんは病院のICUに入っている。 これで、自由に動ける・・と。

 

すると、義妹から妻にLineが入った。 曰く

 

   「〇〇ちゃんを、今夜、預かってもらえない?」

 

と。 勿論、もしそうなった時の事を考えて、「お泊りセット」はバッグに入れてある・・と言う。 

 

   ―――――――――――――

 

そして、6時からの通夜に間に合う様、妻は車で出掛けた。 さぁ、親と離れた子供と二人になった。 今までに無いシチュエーションである。

 

すると、子供が

 

   「お家(うち)に帰りたい・・」

 

とメソメソしだした。 いやぁ、これには参いった。 結局、

 

   「今、お家に帰っても、パパもママもいないんだよ! みんな〇〇斎場に行ってるんだよ」

 

とか、

 

   「車は、オバチャンが乗って行って無いでしょ? だから、送って行けないんだよ」

 

と言って待って貰うしか無い。 すると、

 

   「オバチャンは何時に帰るの?」

 

と訊く。 仕方ないので、

 

   「7時半頃かなぁ・・」

 

と答えると、その子供は掃き出し(窓)のカーテンを開けて見ていた。 やがて、7時過ぎに妻が戻り、一件落着となった。

 

それから3人で夕食を食べ、妻が我が家に泊まる様に説得した。 問題は明日の告別式である。

 

 

お婆ちゃんが入院

 

では、義妹はどの様な正月を迎えたのか? そりゃ、大変だったらしい。 母屋に一人で住む義母(84歳)が、食事作りや入浴は勿論、洗濯・食事・トイレ・着替え等の身の回りの事、一切出来なくなってしまったらしい。

 

原因は不明だが、元々あった認知症が配偶者(お爺ちゃん)の死により、一挙に進んでしまったと考えられる。 それにしても、その進み方が異常に速い・・

 

ここに来て、義弟と彼の妻(義妹)の負担が急に増した。 それは、お婆ちゃんが発熱した事による。 そこで、義弟が近所の「かかりつけ医」に診せたら、「インフルエンザ」だと言う。 そのためか、自分自身で動けなくなってしまったのである。 まぁ、洗濯は、一緒でも可能である。 別々でも全自動なので、2度やる事も可能である。 食事は、3人分(義妹夫婦+子供1人)も4人分(3人分+義母分)も同じである(義母の食べる量は僅か)。  ただ、食べさせてやらないと、ダメらしい。 トイレに至っては、連れて行かないと、ダメらしい。 つまり、自力歩行が全く出来なくなってしまったのだ。 

 

さて、いよいよ、通夜の日を迎えた。 先ず、義妹が母屋に行ってお婆ちゃん(義妹の義母)を早朝、トイレに連れて行った。 所が、義母が転んでしまった。 それまでは、何とか義母を支えて来られたが、今回は転び方が悪かったらしく、義母が起きあがれなくなってしまったのである。 早朝、6時半頃の事らしい。

 

スワ、一大事とばかりに、義妹は旦那(義弟)を呼びに行った。 義弟は、母(義妹の義母)の様子を見て動かせないと知ると、迷わず救急車を呼んだ。 そして、救急車には、息子(義弟)が同乗して行った。 義妹は、子供の世話をしなければならないので・・

 

行く先は、お爺ちゃん(義妹の義父)と同じ総合病院である。 医師は、即、入院を指示。  しかも、ICU(集中治療室)に入ってしまったのである。 勿論、インフルエンザのためではない。 何かに感染すると、一命を落としてしまうからだ(と思う)。

 

では、治療は? 経静脈栄養補給を行おうとしたのだが、患者(お婆ちゃん)が心臓の(弁の)手術歴があるので、出来ない・・と言う。 どうも、血液量が急に増すと、心臓に大きな負荷がかかってしまうらしい。 これにより、心停止でも起こしたら、元も子もないからであろう。 医師は、血便がある事から、(消化管内)出血を疑っている様だが、如何せん体力が無いので、胃カメラ検査も大腸内視鏡検査も出来ない・・そうである。

 

 

つまり、ドンドンやせ細ってしまう訳だ。 家族は、

 

   「(こ、これって・・ いつか来た道・・)」

 

とは思ったが、まぁ、口には出さない。 極め付けは、担当医の

 

   「延命治療を望みますか? ませんか?」

 

と言う言葉。 急にそんな事を訊かれても、家族は戸惑うばかり・・ 事実、戸惑っていると

 

   「どっちなんですか? 早く答えて下さい!」

 

ど言ったとか? まぁ、他の医師が、

 

   「あの先生は、コミュニケーション能力が落ちるんだよね、腕はイイんだけど・・」

 

とフォローした。 では、病状は? その医師によると、「50:50」と言う事らしい。 オイオイ、遂、数日前にこちらの病院で父を失ったばかりなのに、母まで!?!

 

   「(お願いだから、(父の)49日(法要)までは、待って欲しい)」

 

と言う本音まで、施主の義弟からでたそうな???

 

   ――――――――――――

 

それにしても、どうしてインフルエンザに罹ったのだろ。 義妹夫婦もその子も、罹っていないし、本人(義妹の義母)は外出すら、していない。 考えられるのは、弔問客の中に罹った人がいたとしか考えられない。 だとしたら、ド迷惑な話しである。 特に体力に余裕の無い老人は、インフルエンザ感染により致命的な状況に陥る可能性が高いのである。

 

 

2019年の正月風景

 

さて、カレンダーでは松が取れる頃であるが、本日記では、丁度2週間遅れで、元旦となった。 今年の元旦(を含めた3元日)の関東地方では、穏やかで、暖かい日だった。

 

丁度、長男が帰省して来たが、長女はタイのナントカ島でバカンス中である。 義母も施設から一時帰宅をし、一家四人で静かな正月を迎える事が出来た。

 

さて、義母宅で新年会を行うのが、〇〇家の新年二日目の恒例行事であるが、今年はどうしようか・・と、開催が危ぶまれた。

 

     http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2014/01/15/102853 (2014年の新年会)

 

     http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2015/01/25/074527 (2015年の新年会)

             :

    http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2018/01/31/114303 (2018年の新年会)

 

と言うのも、義妹一家が「お爺ちゃん」のご逝去と、「お婆ちゃん」が大変で家に置いて来る訳にも行かず、欠席となるからである。 

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2019/01/13/103105

 

別の義妹は、パートとして働くので欠席、但し、彼女の息子が子供達(義妹の孫。 5歳男子と3歳の女児)を連れて来る・・と言う。 尚、息子のお嫁さんは、パートの仕事らしい。

 

では、出席する義妹一家は、揃うのか? いや、長男が欠席で3人。 結局、合計10人、例年の半分程度なので、テーブルを減らして、8畳1間でする事とした。 では、料理は? 最初は8人だったので8人分(+オードブル)の寿司を予約した。 と言うのは、上記の「別の義妹」曰く、

 

   「8人前で、十分よ! だって、あの子達(自分の息子と子供2人)は本当に行くかどうか分からないし、行ったとしても何時になるか・・」

 

と素っ気ない。 まぁ、これまでもそうだったし、バーベキューの時も同じだった。 更に、

 

   「息子は、余り物で十分だし、あの子達だって、遊び廻っていて、食べるかどうかも分かんないしぃー・・」

 

とも、言うのである。 妻は、その言葉を信じて、8人前のままとした。 私が

 

   「息子さんの分を増やして、9人前にしたら?」

 

まぁ、そんな事には耳を貸さず、8人前のままとした。

 

   ――――――――――――――

 

さて、昼近くになり、母屋に行くと、何と息子達がいるではないか!!! しかも、子供達も、

 

   「(寿司はまだ来ないかなー・・)」

 

と言わんばかりに、チャンと炬燵に入って座っている・・ 事実、寿司が届くと、男の子が、早速寿司を摘まんだ。 しかし、誰も手を出さないのを見て、空気を察したらしく、

 

   「ねぇ、食べてイイの?」

 

と訊いた。 すると直ぐ隣りに座った義弟が、男の子と話していた。

 

   「まだだよ、先に乾杯をしてからね! じゃあ、〇〇君が乾杯の発声をして?」

 

   「ねぇ、何て言うの?」

 

   「明けましておめでとうございます。 乾杯ーって言うんだよ!」

             

   「明けましておめでとうございます。 かんぱーい!!!」

 

と言う事で、宴が始まった。 しかし、サビ抜きじゃあないので大丈夫か・・と誰かが息子に訊いたら、大丈夫だよ・・と言う事らしい。 まぁ、逞しい・・と言うべきか?(笑)

 

そうしたら、子供達の口に合ったらしく、良く食べていた。 オマケに息子の隣に座った女児が、マグロを食べたかったらしく、(自分の)お父さんに訊いていた。 お父さんは、数が人数分しか無い事を知っているので、

 

   「この中トロ、〇〇が食べてイイですか?」

 

と訊いていた。 義妹から聞いた話しと随分ちがうなぁ・・と思った。

 

   ―――――――――――――

 

また、子供達は、親戚のオジサン・オバサン達から「お年玉」を貰って、嬉しそうだった。

 

こうして、出席した皆が明るいお正月を迎える事が出来た。

 

 

「お婆ちゃんが、大変!?!」

 

では、ご逝去された「お爺ちゃん」の配偶者である、「お婆ちゃん」は?

 

実は、お爺ちゃんが入院する前から同居するお爺ちゃんが「婆さんが、おかしい」と言っていたらしい。 例えば、 野菜の種を全部、1つのポットに蒔いてしまったらしい。 それを、お爺ちゃんがポットに蒔き直していた・・と言う。

 

そして、お爺ちゃんが入院した頃から。異常行動が目立って来たらしい。 例えば、お爺ちゃんの服や枕等の寝具を捨ててしまうのである。(息子が拾いに行ったとか?) また、大根の漬物を作るのに、漬物石を並べ、その上に大根を並べたと言うのである。 これを息子(私から見ると、義弟)が、

 

   「漬物を作った事の無い俺だって、おかしいのは分かる」

 

と言っていた。 そこで、息子が母にポリバケツの中に漬ける事を教えたら、

 

   「そんな事、分かってらーい、今、バケツに漬ける所だったんじゃー!」

 

と言いて来たそうな。 すると今度は、確かにポリバケツに漬けたが、塩の配合忘れreで発酵してしまい、息子が全部捨てたと言っていた。 

 

   「婆ちゃん、塩を使わないから、全部大根がカビちゃったよー・・

 

   「お前がごちゃごちゃ言うから、塩を入れ忘れちゃったじゃないか!!!」

 

すると、お婆ちゃんは将に、逆ギレである。

 

では、日常生活は? 最初は

 

   「家事なら何でも、一人で出来る」

 

と言っていたのだが、実際に義妹が見に行くと、電気釜の中のご飯はカバカバ、調理をした様子もなく、佃煮か何かでカバカバのご飯を食べていた様だ。 そこで、義妹が食事を持って行くと、アレは嫌い・コレは嫌い、味噌汁も折角義妹が(少しでも栄誉を摂れる様に・・と)具を沢山入れても、

 

   「あたしゃ、味噌汁は具のない方が好きだ」

 

とか言って、汁しか飲まない・・と言う我が儘放題。

 

では、入浴は? 

 

   「今日は、〇〇だから入らない」

 

と何かと理由を付けているので、義弟が母屋まで迎えに行き、やっとの思いで入れると、

 

   「お前んちの風呂は、浅くて入った気がしない」

 

と言うのである。 今式のユニットバスより昔の深い風呂の方が「入ったー!」と言う感じがするのだろう。 しかし、どうたら風呂に湯を張れるのかを忘れてしまった・・と言うのが、風呂に入らない実態らしい。 つまり、今までお婆ちゃんの認知症(?)が目立たなかったのは、きっとお爺ちゃんが、カバーしていたからなのだ・・と思われた。

 

 

「お爺ちゃん」の死

 

年末最終行事も終わり、後はゆっくり・のんびりと、年末、そして年始を迎える事が出来る・・と思っていたら、義妹の一人から、年も押し詰まった某日、妻のスマートフォンにLineが入った。 曰く、

 

   「今日の午後1時頃、お爺ちゃんが他界しました。 私は死に目にあえませんでした」

 

と言うものである。 ここで、「お爺ちゃん」とはだれなのか、そして彼の病状を、以下、詳述しよう。

 

「お爺ちゃん」とは、義妹の嫁ぎ先の義父である。 そして、「お婆ちゃん」(配偶者)と共に母屋に暮らし、息子夫婦は同じ敷地内に別棟を建てて暮らしている。 この夏頃から

   

   「だるい。 疲れたー、疲れたー・・」

 

と言っていたそうである。 そして遂に息子(私から見ると、義弟)に

 

   「病院に連れて行ってくれ」

 

と言ったらしい。 そこで、息子が近くの〇〇総合病院に連れて行った。 医師の診断は、

 

   「結核かも知れない」

 

と言う事で、即、隔離・入院となった。 その後、暫くして検査結果が出た。 それによると「非結核性抗酸菌症」だという。 これはに、困った。 と言うのは、(結核以外の)抗酸菌に効く抗生物質は3種類位しか無く、その内どれがどれ位効くのか、或いはどれとどれの組み合わせやそれらのどんな割合が効くのか、試行錯誤らしい。

 

困った事は、他にもあった。 膠原病もあったらしい。 医者嫌いだったそうであるが、本人が直接病院に連れて行ってくれ・・と言うのだから余程だったのだろう・・ 近所のかかりつけ医(開業医)では、分からなかったのであろうか?

 

まぁ、なかなか有効な抗生物質が見つからない内に本人はドンドンやせ細り、途中「せん妄」まで出て、大変だったらしい。 経静脈栄養も体力の向上には役に立たず、最後は自分の身内も分からず、骨と皮だけになり、

 

   「いつ死んでも、おかしくない」

 

と医師に言われる様になってしまった。 そして、年末も近い某日、遂に「その時」を迎えた。 享年87歳と言う。

 

早速、葬儀社を決め、ご遺体を自宅に運んだが、斎場が混んでいて、通夜・告別式まで、8日間も自宅に置いて置かなければならない・・と言う事になった。 斎場に預ける手もあった様だが、お別れまでは・・と思ったのだろう。

 

私が行くと、花で飾られたミニ祭壇の奥に、綺麗に納棺された骨と皮だけの本人がいた。 その手前の線香台に、線香を1本、上げさせてもらった。 その脇には、箸の刺さったご飯や味噌汁、団子等が備えてあった。 聞けば、義妹が毎日、新しい物を備えていた・・と言う。

 

え? 普通はご本人の配偶者(お婆ちゃん)がするのでは??? 実は、こちらも大変だったらしい。