法律と宗教 - 滞米生活、その35
「法律と宗教」について印象的な言葉がありましたので、ここに紹介させて戴きます。
申すまでもありませんが、日本(人)にとって「法律と宗教」とは分離すべき異質のものです。 しかし、米国(人)にとっては、必ずしもそうではない・・と、過去の日記で述べました。
http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2019/11/23/110143 (宣誓(米国は宗教国家) ― 滞混生活。その23)
それに関し、以下の例え話を聞きました。
ある日曜日の午前、教会に出かけました。 私はキリスト教の信者ではありませんが、その時間は牧師(宣教師?)が信者ではない人向けの話をするのです。 詳細は忘れましたが、以下の様な筋でした。
―――――――――――――――
ある街にお金持ちがいて、裕福な暮らしをしていました。 いつしかその家の門前に、乞食が居つきました。 普通、お金持ちは乞食を追い払うのですが、そのお金持ちは敢えて追い払う事はせず、そこに居させたのでした。
時が過ぎて、お金持ちも乞食も死んでしまいました。 さて、神の審判は? 乞食は天国に召されたのですが、お金持ちは地獄に落ちたのです。 しかし、お金持ちは生前、特に悪い事をした訳でもなく、寧ろ住処の無い乞食に対し寛大な気持ちを示したのに・・
「これを、あなたはどう考えますか?」と、質問されました。 でも、明確な答は見つかりませんでした。
牧師(宣教師?)は、こう説明しました。 「お金持ちは、乞食に援助をしてあげられる位の余裕はあったハズだ。 それを怠ったから、地獄に落ちたのだ」と。 つまり、「何をしたか・・で裁かれるのが法律であり、何をしなかったか・・で裁かれるのが宗教である 」と。
法律と宗教 - 日本(人)にとっては異質のものですが、米国(人)にとっては一つの目的(社会規範)を遂げるために相補完するものなのです。.