高麗神社の例大祭―1
10月19日は、高麗(こま)神社の例大祭の日である。 例大祭は曜日に関係なく、日にちで決まっている。
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午後一時開始に合わせて、私の運転で旧知と出掛けた。
途中までは、知っている道である。 と言うのも、2週間前に同じ日高市の巾着田に曼珠沙華を見に行ったばかりだからだ。 と言うのは、途中に「高麗神社」への案内がが、川越-日高線にあったからあるである。 それでも一応、ナビをセットして出発した。
http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2015/11/01/083912
すると、ナビは違う道を指示した。 ナビに従って進むと、北平沢を通るらしい。 確かに川越-日高線から高麗神社に通じる太い道は無い。
では、なぜ高麗神社の例大祭に? それは、40年以上前に遡る。
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お供の旧知が学生時代、坂口安吾に惚れ込んだ。 そして彼の全集を買おうとした。 しかし、当時2000円したそうだ。 奨学金が月額2万円の時代である。 全部は買えずに、虫食いになってしまったそうだ。
そしてその第9集に、「高麗神社の祭の笛」と言う紀行文がある。 彼は安吾を信奉する余り、一度安吾の足跡を訪ねてみようと思ったのである。
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午後一時前に、神社の裏に行くと、出発準備は出来ていた。
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先頭は、棒使いである。 その次は、ほら貝が続く。 そしてその次に、鶏を模した帽子を被った案内役が続く。
私の印象は、棒使い=孫悟空=中国、ほら貝=修験者=日本、案内役=高句麗=大陸文化であり、長い時間を掛けて独自の文化が土着した事を象徴している様だ。 「文化の帰化」と言って良いのだろうか?