リハビリ181―習字
定刻、作業療法が始まった。 私は付き添いの妻に宿題をカバンから出させ、担当のM士に見せた。 その宿題とは、大小のマス目に自身の名前を書く事だった。 すると、殆んど「ホメ殺し」である。
そこで今度は、マス目の無い紙に書く練習をすると言う。 これも何とか、M士の満足行くレベルに達した様だ。
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すると、M士が次の練習を提案して来た。
「習字って、やった事はありますか?」
「習字ですか? ええとぉ・・ 小学校の頃に。 もう、ン十年前の事ですが。」
「じゃあ、やってみましょう!」
と言って、別室に行き、道具一式を持って来た。 そして私が墨を持って硯に当てるのを見て、M士は
「今日は(墨をする)時間が無いので、こちらを使いましょう。」
と言いながら、墨汁の黄色い容器を示した。
違うのである、たとえ墨汁を使っても、墨をする事により心を落ち着けるのだ。 「墨をする」と言う行為は、単なる儀式や手順、作業ではない。 と、私は思っている。
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そして、M士は半紙を袋から出して並べ、私は筆を選んだ。 いよいよ・・である。
そうしたら、一枚目は上手くなかったが、二枚目からは――自分で言うのは気が引けるが――結構上手く書けた。 『昔取った杵柄』とな、この事を言うのだろう。
「へぇー・・ 上手いじゃないですか? 何かコツでも(あるんですか)?」
「えぇ、『トン・イチ・スー』だそうです。」
「何ですか、それって?」
「先ず『トン』で、筆を置くんです。 次の『イチ』でひと呼吸置いて、筆の終点を見定めてから、最後の『スー』で筆を運ぶんです。」
「誰かに教わったのですか?」
「書道の名人が言っていたんです、テレビで。」
まぁ、その『トン・イチ・スー』をM士がどこまで信じたかは、私には分らなかったが、私がその方法で上手く書けたので、M士は否定しなかった。
久しぶりなので、習字は結構楽しい。 全部で8枚書いたが、その内の1枚は行書体にしてみた。 そしてその中から、上手く書けた4枚を持ち帰った。