パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

診察201610―1

今日はリハビリの後に、診察のある日だ。 そこで、病院の外来用車椅子を借用して、脳神経内科の待合室に行った。 ほぼ時間通りの進行らしく、20分程で本日の受付番号がパネルに表示された。

 

車椅子を降りていた私は、妻が扉を軽くノックし開けてくれるのを待って、杖を突きながら、診察室内に入った。 すると、F医師は私に質問した。

 

   「どうですか、調子は?」

 

   「相変わらず・・です」

 

と答えながら、患者用の肘掛け付き椅子に座ろうとした。 所が、椅子が向うを向いていたので、座る前に回転したが、不十分であったため真っ直ぐ座れず、コケそうになってしまった。 それを見たF医師は、

 

   「こちらに座って下さい?」

 

と診察台を奨めた。 折角なので、私は診察台に腰掛けた。 そして、この7週間の様子をメモで報告した。

 

(1) 前回受診(2016年8月○日)以降のイベントや体調について 

① 8月○日、母の遺言書の検認のため浦和の家庭裁判所に行った。 現地では車椅子を借用した。

② 9月○日、市内の歯科医院に定期健診に行った。(一人で運転し、杖を使って単独行)

③ 9月○日、義父の7回忌法要・墓参・お清めの席に出席した。 脚がすくんでフリーズする場面もあったが、妻や義姉妹・義兄弟の協力も得て、無事に終えた。

④ 9月○日、〇〇駅前の○○学園に友人を訪ねた。(一人で運転し、杖を使って単独行)

⑤ 9月○日、右手に杖・左手に紙袋を持って歩いていたら、突進をしてしまい、転倒してしまった。 結果、左手の小指と薬指に擦過傷を受傷。 3日程、ゲンタマイシン軟膏を使用し、その後は自然治癒。

⑥ 9月○日、弁護士を訪問。 障害厚生年金3級から2級への額改定請求に対する再審査請求に対して開催される社会保険審査会への出席の打ち合わせ。

 

これを読みながら、F医師は

 

   「そうですかぁ・・ 転んでしまいましたかぁ・・」

 

と、残念そうに呟いた。 そして、次は今日の本題である。

 

メモには、次の様に書いておいた。

 

 (2) 処方について  (処方量は、1日当たり)

 

⑦ 処方を次の様に希望します。

薬  剤

現在

希望

マドパー配合錠 100mg

2  錠 

0  錠 

プラミペキソール0.125mg

2  錠

2  錠

ドプス 100mg

6  錠

6  錠 

シンメトレル 50mg

4  錠 

4  錠 

 

⑧ 希望の理由(マドパー配合錠の減量)

  ・ L-DOPAは、進行性核上性麻痺、特に純粋無動症には無効。

  ・ 平成25年12月9日より、それまで3錠だったのを4.5錠に、同26年3月17日より5錠に増量。 (理由:セカンドオピニオンを受けてパーキンソン病を除外診断するため) しかしながら、増量効果は全く認められず、以降平成26年6月16日より4.5錠に、同26年7月28日より3錠に減量。 最終的に0錠にする途中だった。 減薬による症状も無く、同28年4月11日より2錠になった。

 

これを読んで、F医師は

 

   「そうですねぇ、マドパーをやめちゃいますか? 副作用もありますし・・」

 

と言ったのである。 前回、プラミペキソールの中止にあれ程消極的だったのに。

 

リハビリ340―道具を使って

記入が終わると、いよいよ施術だ。 先ずは。下半身のマッサージだ。 TA嬢は仰向けの私の大腿四頭筋を触り、

 

   「先ずは、凝っている所をほぐして行きましょうねぇ・・」

 

と言いながら、私の下半身のマッサージやストレッチをこなして行った。 太腿をマッサージする彼女の手が鼠蹊部に近づく度に、「ドキッ」としてしまう。 

 

   「そうそう、凝っているのは、その先なんですぅ」

 

なんて、言える訳もない。(><) 途中、直径60cm位の柔らかいボールを持って来て、

 

   「これ、やった事ありますか?」

 

と訊きながら、仰向けのままの私に脚を上げる様指示し、脹脛(ふくらはぎ)の下に置いた。

 

そしてTA嬢は、私の弁慶の向こう脛に手を添え、両脚を前後に伸ばしたり、(両膝が胸に付く位)縮めたりした。 これを10回やったら、今度は彼女の補助なしに同じ動作を10回やった。 更に同じボールを脹脛の下に置いたまま、両脚を左右に10回振った。 勿論、ボールから落ちない程度に。 続いて同じ事を彼女の補助なしに10回やり終えて、彼女はボールを片付けた。

 

そして今度は、その帰りに長さ60cm位の紙筒を持って来た。 彼女の指示により台に腰掛けた私はその両端を握って頭上にかざして上半身を上下・左右・前後(捻転)に動かした。 柔軟性の確保のためのストレッチである。 これが終わると、彼女は紙筒を片付けた。

 

いよいよ、最後のストレッチである。 TA嬢は台に腰掛けたままの私の後ろに廻り、左手を私の左に伸ばし、

 

   「私の手を触って下さい」

 

と言った。 私が左手の指先で彼女の掌に触ると、今度は少し遠くして同じ事をさせた。 更に右側でも同じ事をやった。 つまり、上半身を伸ばしてのバランスと回復の練習である。

 

   ―――――――――――――――――

 

さて、残り時間も10分程になった時点で、歩行練習に移った。 室内を往復歩行するのである。 広い場所だったので、難なく出来た。 するとTA嬢は、私に

 

   「平行棒の間は、歩けますか?」

 

と訊いた。 きっと、私のすくみ足を再現し、アドバイスをしてくれる予定だったのだろう。 しかし、平行棒の様に固定されて、高さのあるものなら、大丈夫なのである。

 

すると、どういう場面ですくむのか、不思議そうに訊いた。 私は、

 

   「狭くて危険が予測される時とか、向うから人が歩いてくる時です」

 

と答えた。

 

   ――――――――――――――――――

 

こうして本日のリハビリは、無事に終了した。 え? 女性理学療法士の感想ですか?

 

先ずは、部品の大きさであるが、兎に角小さいのてカワイイのである。 台に腰掛けて、手を伸ばす時の二の腕の長さとか、掌の大きさとか・・

 

次に、柔らかいのである。 手脚は勿論、身体全体、当たる所・当たる所、どこもが・・

 

最後に、体温であるが、身体全体が暖かいのである。 まるで・・・それは、

 

   「私・・ 高温期なの。 今日は安全よ!」

 

とアッピールして ・・ してないか!?!

 

リハビリ339―カワイイ!  

さて、 10月上旬の今日は、月最初のリハビリと診察のある日だ。 診察のある曜日は決まっているが、その曜日は担当の理学療法士であるI士が休む事が多い。 そこで今回も理学療法士は前回の診察日同様、替わりの人だ。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2016/09/25/100338

 

そこで、予診を終えて待っていると、

 

   「○○さーん?」

 

と言う女性の声がした。 見ると、前回のT嬢でなく、

 

   「本日担当します、TAです」

 

と小柄な女性が、名札を提示した。 イニシャルが同じTなので、本日の担当をTA嬢とした。 

 

身長152~153cm位だろうか、髪を後ろに束ねた清楚な印象である。 細面の割に目が大きく、明日から「乃木坂46の○○です」と言っても違和感の無い程の美人である。 一瞬、

 

   「カワイイ!」

 

と、出そうになってしまった。(汗) まぁ、言って見れば「新内眞衣」似である。

 

   ――――――――――――――――――

 

早速、空いている台を探し、行こうとしたら、右から平行棒の端が、左側から車椅子のハンドルが出ていて。すくんでしまった。 しかも車椅子から別の患者が降りる所だったので、車椅子を動かして通路を空ける訳にも行かない。 私は平行棒の端に掴まりながら、ヨタヨタと小刻みに進んだ。

 

すると、私が転ばない様にTA嬢は私の後ろから支えた。 では、どうやって? 彼女は私の両脇の下に、夫々の両手を差し込んで来たのである。 まぁ、手は真っ直ぐに開いていたが、万が一、私がコケそうになると、その指先が私の脇の下に食い込む事を考えるだけで、くすぐったく思えてしまう・・ そうならないためには、ここでコケる訳には行かない!

 

こうして、無事に(?)台に辿り着いた。 すると、彼女は私に座る様促し、自身も私の右側に腰掛けた。

 

   「今日は月初なので、こちらを作らせて頂きます」

 

と言いながら、彼女はボード上のブランクの「リハビリテーション総合計画書」を自分の膝の上に乗せ、記入し始めた。

 

その時である!?!

 

ふとTA嬢を見ると。小柄な女性が俯いて(記入して)いるので、制服のVネックから見えてしまったのである。 それは丁度、傘を被った富士山の様だった。 その傘(=ブラジャー)のために「山頂」までは見えなかったが、6合目までのなだらかなスロープを・・

 

まぁ、邪心は無いので直ぐに目を逸らして、私は何事も無かった様なフリをした。

 

車椅子のレンタル

さて、出先で車椅子を借用する事が多くなったので、平生の外出時にもあると便利である。 そこで、車椅子のレンタルを考えた。 勿論、購入も考えたが、使い勝手は機種によりマチマチであろうから、先ずはレンタルで使ってみてから・・と思ったのである。

 

以前、市の難病手当の受給を申請した時、市の職員から、

 

   「何か福祉用具が必要になったら、購入する前にご相談下さいね」

 

といわれた事を思い出し、市役所に行って見る事にした。 丁度、指定難病医療受給者証が更新となったので、市に難病手当の受給の更新が必要となったのである。

 

車で行くと、身障者用駐車場から一台車が出る所だったので、ラッキーだった。 単独行なので、杖を頼りに降車し、階段を登って庁舎に入った。 窓口は入口から遠かったが、床のカーペットの枡を頼りに(=cueとして)歩いた。

 

窓口に行き、新しい受給者証を提示して更新の旨を伝えると、女性職員は、

 

   「コピーを取らせて頂いて、宜しいですか?」

 

と訊き、私が頷くとコピーし、受付印の付いたA5の紙と共に返却した。 さて、本題である。

 

   ――――――――――――――――――

 

   「あのぉ、車椅子のレンタルって、出来るんですか?」

 

と私がその職員に尋ねると、担当が替わり、別の女性職員が逆質した。

 

   「(身体障害者)手帳は、お持ちですか?」

 

と。 私が持っていない旨を答えると、

 

   「じゃあ、介護保険の方で、訊いてみましょう・・」

 

と言い、別の課に案内し、用件を伝えてくれた。 ご存じだろうが、指定難病に罹ると40歳以上で介護保険が使えるのだ。

 

すると、介護保険の担当が

 

   「介護保険証をお持ちですか?」

 

と訊くが、持っていない旨を答えると、

 

   「何か、(身分を)証明する物はお持ちですか?」

 

と訊いたので、運転免許証を示したら、彼女はカチャカチャとキーボード入力し、

 

   「今日は、どうやって来ましたか?」

 

と質問を続けた。

 

   「私が運転して、車で・・」

 

と答えると、何かの用紙に記入した。

 

そうなのだ、後で知ったのであるが、要介護2級以上でないとレンタル車椅子は使えないらしい・・ そこで、インターネットで調べると、私の場合は2級には該当しないかも知れない。 と言うのは、歩行障害以外の主訴(構音障害、開眼失行、小字症等)は、介護の対象ではないからである。 そこで、介護保険の等級認定は申し込まなかった。

 

リハビリ338―高這いで・・

続いて高這いで同じ事をやった。

 

つまり、片手上げ・片脚上げ・(対角の)手脚上げをやるのである。 更に、(対角の)手脚上げの時、脚を後方に上げるのではなく、自分の腹の下に畳み込む様に潜らせるのである。 すると、丁度止まって高這いでハイハイをやっている感じになる。

 

これが、結構キツい・・ 四つん這いでの動作の数倍位の厳しさがある。 事実、以上を一通りこなしたら、ミニ休憩となった。 勿論、ただ休むだけでなく、その間、I士は色々と教えてくれた。

 

例えば、突進歩行の原因は、片足に重心が完全に乗り切れない内に反対側の足が出てしまうからであり、それを防ぐには、一歩一歩、キチンと重心を乗せてから、次の足を出す様に習慣付ける事が大切だと。

 

そこで続いて、その練習を行った。 I士は、靴を履いて立位になった私に、

 

   「じゃあ、ジャンプはできますか?」

 

と訊いたので、やって見た。 しかし、高さが十分でなく、爪先が床から離れるか離れないか位しか飛べない。 それを見たI士は私の正面に立ち、両手を差し伸べた。 私は彼の手に両手を乗せて再びジャンプを試みた。 うん、これなら出来る! 丁度、エアー縄跳びをやっている様だ。

 

すると彼は、私に彼の両肩に両手を乗せて同じ事をやってみよ・・と言った。 これは、きっと固定したものに掴まって練習するためだろう。

 

更に彼は、

 

   「片足で、出来ますか?」

 

と訊いた。 私が片足ずつジャンプすると、

 

   「もっと高く足を上げて、出来ますか?」

 

 

と言い、ジャンプした時の上げた脚を上げる様、促した。 かなり大変だが、頑張ったら評価を貰えた。

 

最後は、本当に大変だった。 彼は私の両手を取り、後退し始めた。 つまり、私は片足ずつジャンプしながら、前進するのだ。

 

これは疲れる・・ 疲れると脚が上がらなくなり、止まってしまう。 すると、I士がリズムを取ってくれるのであるが、その通りは不可だ。 そこで自分のペースでやろうとするのであるが、すくんでしまって、固まってしまった。

 

それを見て、彼は両足ジャンプから行って見る様、提案した。 まぁ、多少の疲労があっても両足ジャンプなら出来る・・ その後、両足ジャンプから片足ジャンプに移行せよ・・と言う事らしいが、それが出来れば苦労は無い。

 

と言う事で、立位でのジャンプが宿題となった。

 

リハビリ337―「突進して、転倒してしまいました。」  

さて今日は、9月最後のリハビリ日だ。 そこで、妻の運転で総合病院に出掛けた。 そしてM医師による予診の時、

 

   「実は先週の〇曜日、突進して、転倒してしまいました」

 

と申告した。 するとM医師は転倒回数を尋ね、キーボード入力した。

 

   ――――――――――――――――――

 

定刻、I士が現れ、リハビリが開始となった。 するとI士は、冒頭

 

   「どうですか、調子は?」

 

と訊いて来た。 私が転倒した事は、M医師の書き込みで知っているので、私は詳述した。

 

   「いやぁ、転倒してしまいました。 右手に杖・左手に紙袋を持っていたので突進してもどこにも掴まれず、トットットと突進してそのまま倒れてしまい、左手の小指に擦過傷を負ってしまいました」

 

と言いながら、怪我の部位を彼に見せた。 すると、彼が

 

   「血は、出ましたか?」

 

と訊いたので、肯定の返事をした。 きっと傷の修復がきれいに進んでいるからだろう。

 

   ――――――――――――――――――

 

さて、いつも通りのマッサージやストレッチを終え、I士は私に四つん這いになる様指示した。 そして、左右の手のみを片方ずつ水平に上げ、続いて脚でも同様の事をやり、最後に対角の手脚で行った。 この時、手脚を高速で伸縮もした。 ただ、段々伸縮速度が上がると、脚が水平まで上がらなくなり、彼から檄を受けてしまった。

 

そして、いよいよ本日の新技に入った。

 

彼も台の上で四つん這いになり、右手・左足、左手・右足を交互に持ち上げた。 ここまでは前回・前々回、行なった。 そして、そのまま台の上を進んで見せた。 要するに、ハイハイである。 私も真似をしたが、彼ほどのストロークが取れない。 彼は1歩が、50cm位あるのである。 つまり、台の長手方向(180cm?)を4歩で進んでしまうのだ。

 

そうして、ハイハイで戻る時も、大きなストロークである。 要は、最初の1歩の時、手を長く、遠くに出せば良いだけの事であった。 これで、I士に「合格」を貰えた。

 

新・指定難病医療受給者証が届く  

そう、もう9月下旬である。 現在の指定難病医療受給者証の有効期限が9月30日までなので、担当医に診断書をお願いし、7月上旬に更新手続きをしておいたのだった。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2016/08/15/075130

 

実は新しい受給者証が9月下旬に郵送されて来るハズであるが、すっかり忘れていた。(汗) そうしたら、某SNSで「受給者証が未だ届かない」と言う投稿があり、手続きしたのを思い出した。

 

すると、卒啄同時・・と言うのだろうか、将にその日に県から郵便が届いた。 開封すると、①指定難病医療受給者証、②指定難病医療費自己負担上限月額管理票、③受給者の皆様へ(経過措置)と言うのが、同封されていた。 

 

そして、①では上限額が増え、有効期間が来年の12月31日までに延長され、②はサイズが葉書大まで減り、③には経過措置終了後の医療費についての説明があった。

 

問題は、①である。 まぁ和解により株が現金化できたので、臨時収入によるものなので、上限額がアップしたのは仕方ないとしても、それが丸一年以上継続するのは納得行かない。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2015/03/20/080217

 

そこで、③を読むと、来年の9月末で更新できる様だ。 チョッピリ安心した。

 

   ――――――――――――――――――

 

さて、もぅ一つの懸念は、「医学的審査」である。 どういう事かと言うと、従前

 

   「経過的特例として、書類に不備がなければ、病状のいかんを問わず認定を行う」

 

だったのであるが、来年度の継続申請から

 

   「医学的な審査を行い、重症度基準を満たすか否かにより、認定・不認定を決定する」

 

と言う事らしい。 PAGF(純粋無動症)は一般のPSP(進行性核上性麻痺)の中でも進行が遅いので、最悪「不認定」の可能性もある。 そこで思わず「重症度基準」をインターネット上で調べてしまった。

 

また、重症度基準を満たさない場合の救済措置(「軽症者特例」や、「高額かつ長期」)にも触れている。 ただ、「指定難病」と呼ばれる様になってから、全体的には疾患数が306にまで広がったが、「浅く広く」のためか「特定疾患」時代と比較して後退した感もある。