パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

抄読会―11  

次に烏賊博士は、私のAndroid携帯で試して見よう・・と提案した。 そこで私はGoogle Playを起動し、「BrainWave」と入力すると、NeuroSky Dev社の「Brainwave Visualizer」と言うソフトがあるので、これをインストールした。 すると、先程iPadと同じ画面が出現した。

 

そこで彼は自分の頭からデバイスを外し、私の頭にセットした。 そしてBluetooth接続を試みた。 しかし、何度やってもダメだった。 すると彼は、デバイスから単4電池を取り出した。 曰く、

 

   「今までは、私のiPadとペアリングしていただろ? だから新しい携帯とペアリングする時は、こうやってハードウエアリセットをする必要があるんだ・・」

 

と言いながら、元の場所に電池を入れた。 すると私のBluetooth検出画面に「MindWave Mobile」の文字が現れ、ペアリングが完了した。 そして画面右上隅の電波強度アイコンが最大値を示したと共に、デバイスのLEDが青く点灯して正常にペアリング出来た事を知らせていた。

 

うん、面白い! このデバイスは。 しかし、面白いだけでは仕方ない。 すると、彼が突然、加算問題を連続して出した。 しかも、繰り上がりのある加算を・・ きっとその間、α波が減りβ波が増えるかどうか、観たかったのだろう。

 

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こうして色々実験するのは、楽しい。 しかし、楽しい時間は過ぎるのが早い。 彼が用事があるので、また次回・・となった。

 

   「今度、出来たら5チャンネルの脳波計を持って来るよ。 これなら、脳内のどこが活性化されているか、わかるんだ」

 

と言い、別れた。 脳内の活性化マップが描ける!?! こりゃ変な事を考えていると、バレちゃうゾ・・と心配された諸姉諸兄、そこまでの解像度は無いので、ご安心を!

 

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私はエレベーターを降り、駐車場に向かった。 そして、自分の車を見つけた。 将にその時、突進してしまった。 と言うのも、右手には杖、左手には食べきれなかったバーガーの紙袋を持っていて、周囲に掴まる物があっても、両手が塞がっていたのである。

 

私は自分の車の横のアスファルトに倒れ込んだ。 その時、咄嗟に右手の杖をアスファルトの上に置き、その上に右手を着いた。 そのため、完全に無事だった。 所が左手は、紙袋を握ったままなので、指の甲側が着いた。 そのために小指と薬指に擦過傷を負ってしまった。

 

所が、このままでは終わらなかった。 両手をアスファルトに付いただけでは十分な制動に至らず、顔面も付いてしまった・・ いや、「顔面制動」した訳でも無い、唯、最終的なバランスとして両手のみで停止出来なかったのだ。 そのため、顔の左側が接地した。 これにより、左唇の上から出血した。 なぜ、ここが? 実は、その内側に犬歯のある場所なのだ。

 

出血と言っても、それ程でも無い。 やがて自然に止血した。 そこで、ティッシュペーパーで血を拭い、車に乗り運転して帰宅した。

 

帰宅時、妻は最初はビックリしたが、突進による転倒と分かると、余り騒がなかった。 私は家に入り、指の擦過傷にゲンタマイシン軟膏をタップリと塗り、傷テープで抑えた。 更に、唇にも塗っておいた。

 

その後当日は唇から滲出液がでたり、2~3日は小指が痛んだが、こうして口内炎にもならず治って行った。

 

今回の事故(=怪我)は、色々な教訓を残した。

 

抄読会―10

実は、各種学校で教鞭を執る「烏賊博士」こと、私の友人と会うのも2ヶ月ぶりである。 と言うのも、学校の夏休みと、その後、彼の家庭の事情(ノルマ?)があったからである。

 

で、今回は論文の読み合わせでなく、新デバイスを見せてくれると言う。 9月の下旬、私は車を運転して、ターミナル駅近くの彼の職場に行った。 一人での外出は、久しぶりである。

 

約1時間のドライブの終わりに近くのコインパーキングに駐車し、彼にメールをした。 しかし、授業は終わっているハズなのに、返事が無い。 暫くしても返信が無かったので、仕方なく電話を架けたら、懐かしい声が聴こえた。 今、丁度ランチをMcで購入している所だと言う。

 

テラスで待っていると、袋を下げた彼の姿が見えた。 こうして、2ヶ月ぶりの再会となった。 

 

私がバーガーを2個受け取ってその代金を払うと、彼は袋の中からサンドイッチを出してきた。 丁度、厚めのナンにナイフを入れ、そこにレタスやベーコンを入れ、チェダーチーズをあしらった手作りだ。 勿論、バーガーに先んじて戴いた。 その後バーガーに噛り付いたが、先のサンドイッチを戴いているので1個で十分だった。

 

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さて、烏賊博士は自分のリュックから袋を出して来た。 いよいよ、新デバイスの披露の時がやって来たのである。 私の気分は、

 

   「 I can HARDLY wait for it」 (もう、待ち切れない!)

 

である。 そしてヘッドセットの様なものを出し、タブレットを開いた。 彼は、iPadで何かソフトを起動し、ヘッドセットの電極を額に着け、耳たぶをヘッドセットから出ているピンチで挟んだ。 彼の説明では、このピンチの電位を計測し、その値をバックグラウンドとして額の電極との差を取っているらしい。

 

画面を見ると左半分に円がくねくねと揺れ動いていた。 見ると、High alpha、Low alpha、High beta、Low beta、High gamma、Low gamma、Delta、Thetaが円周上に並んでいる。 つまりスパイダーチャートである。 強いと円周に近く、弱いと中心に近い事を表している。

 

そして、画面の右上には生の波形(と言っても、バックグラウンド電位をノイズとしてキャンセルしたもの)とその背景にはパワースペクトラムが、右下には2つのスピードメーターが並んでいる。 そのメーターには、左が「ATTENTION」、右が「MEDITATION」として夫々0~100まであって、アナログ仕立てである。 まさか、オンラインで高速フーリエ変換をしているんじゃあ無いだろう・・

 

しかし、彼に言わせると、これは筋電位も拾っている可能性もある・・と言うのだ。 例えば、眼の開閉を行うと、必ず一定の波形が現れる。

 

リハビリ336―動作の切り替え

その後、脚と腕のマッサージとストレッチが終わったら、I士は私に、うつ伏せになる様指示した。 そして、私は彼の指示に従って、右脚、続いて左脚を上げた。 更に、四肢を(全部一度に)上げられるか訊いた。 試して見ると、一応、合格点となった様だ。

 

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その後私は四つん這いになって犬猫運動をやり、前回出来なかった片側を持ち上げる練習に入った。 それは、四つん這いの状態で、右手・右脚、左手・左脚を夫々同時に持ち上げるものだ。

 

私が難儀している様子を見て、I士は見本を見せながら、こう教えてくれた。

 

   「普通にハイハイすると、対角の手脚が動くでしょ? でも、ごくユックリと(ハイハイを)すると、同側がでるでしょ?」

 

と言いながら、デモってくれた。 ただ、台の上は狭いので、そうは進めない。 まぁ、帰宅後にやってみよう・・

 

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続いて、仰向けになった私に、右膝を左手で、左膝を右手で交互にタッチする様指示した。 これは極めて簡単だった。 それを見て、今度は手でなく肘で対角の膝にタッチせよと。 すると、身体がどうしても、左右にブレてしまう。

 

その様子を見てか、彼は両腕を胸前で組んでやって見よと。 私がやり始めると、次の課題を出して来た。

 

   「そのままで、頭を上げられますか?」

 

と言い、私が持ち上げると、今度は

 

   「両肩も、上げられますか?」

 

と言って来た。 私が両肩を持ち上げられるのを見て、

 

   「(腹筋があるからなぁ・・)」

 

と独り言のように呟いた。 つまり、両腕と両膝とが近づくので、身体のブレが抑えられるのである。

 

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こうして、リハビリが終わって、私は出口の椅子に腰掛けて会計を済ませて車を廻すのを待っていると、偶々同じ時間帯にリハビリを行っていた老婆も、迎えを待っていた。 腰の辺りで上半身が曲がり、いつもカートを押しているので、印象的だったのだ。

 

向こうも、リハビリ室の改装前から私達の事を記憶していたらしく、妻に話し掛けて来た。

 

   「ご主人、大分良くなって来たみたいね。 脚も随分、上がる様になって来たし・・」

 

と。 まぁ、進行性核上性麻痺(PSP)は「緩徐進行性」(前任のS医師)であり、良くなる事は(医学的には)ないのであるが、それによるADL/QOLの低下をリハビリで防いでいるのだろう。

 

もしそれが社交辞令でなく本当なら、リハビリを頑張ろう・・と言う気になってくる。

 

リハビリ335―患者かコンピュータか  

9月中旬には、もう一回リハビリの予定が入っていた。 この所、秋雨前線やら台風とやらで雨の日が多いが、気は重くても行かなければならない。 そこで、妻の運転で総合病院に出掛けた。

 

私が予診を受けるために待っていると、妻が受診案内票を持って来てくれた。 しかし、医師が来ない・・ いつものM医師なら、もう来ているのに・・と思ったら、まだ20代とおぼしき青年が来て、ロッカーから白衣を出して、パソコンのキーボードを叩いてシステムにログインした。 いかにも臨時のアルバイト・・と言う印象である。

 

で、問題は印象でなく、システム操作の習熟度であった。 つまり、午後の受診者リストが出ない(=表示されない)のである。

 

彼は少し自分で試したが遂にギブアップしたらしく、職員に訊きに行った。 所が、訊き方が悪かったのか、訊かれた方が医師の要望が理解出来なかったのか、一向にリストが出ない・・ でも、患者は次々と集まる。

 

漸く、予診が進んでいない事に気付いた別の職員がパソコンを操作して、リストが出た! ここまで約10分、いつもならもうリハビリ開始の時刻だ。 すると、後ろの方で男性の怒鳴る声がした。

 

   「コンピュータと患者と、どっちが大切なんだ!」

 

と。 まぁ、言っている事は正しいが、言い方が高圧的である。 半分は、リハビリの遅れの怒りを職員にぶつけている印象だ。 

 

ではこんな時、病院側はどうしたら良かったのだろう? 以下は、私の個人的なアイデアである。

 

先ずは、予診を進める。 そして、診察の結果は受診案内票に書いて置きコンピュータへの入力は、後で行う。 と言うのは、予診後に、一度、受診案内票は受付に渡されるからだ。 次のリハビリ開始まで40分あるが、入力には、10~20分あれば十分だろう。 勿論、入力自体は医師がやっても、職員がやっても良い。 それに予診の結果(当日の患者の健康状態)は、各理学療法士が受診案内票を見れば良い。

 

それこそが、病院職員が胸に付けているバッジの「患者様第一主義」の意味ではなかろうか?

 

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と言う訳で、ほぼリハビリ開始時刻に予診が終了し、担当のI士が現れて本日のリハビリがスタートした。

 

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I士は空いている台を探し、清拭をした。 そして、私に

 

   「どうですか、調子は?」

 

と訊いた。 私は『相変わらず・・です』と答えた積もりだったが、彼には『余り良くないです』と聞こえたらしい。 すると彼は、

 

   「そんな事ないでしょ? 台まで、ちゃんと歩けていたし・・」

 

と言った。 本当に良く観ている。 否、観てくれている。

 

でも、本人の申告もあるので、彼はバランスチェックから始めた。 具体的には左右の片足立ちである。

 

義父の7回忌  

義父が9月下旬に他界してから、もう6年になる。 過ぎて見れば、早いものである。 あの日の事は、今でも鮮明に覚えている。 

 

まぁ、それは別として、行事をこなさなければならない。 先ずは、お寺に行って、日時の決定と準備である。 準備と言うのは、当日持参品の事である。 具体的には、位牌・遺影・花(1対)・果物(10個)・お布施(5万円)・卒塔婆代(4,000円×5本分)・お膳料(5,000円)である。

 

そして当日、それらを車に積み、喪服に着替えて出発となった。 そうしたら、開始時刻の20分前、頃合いに到着した。

 

もう一つの懸念は降雨であるが、丁度、止んでいた。 もし、土砂降りだと本堂まで行けないので、車内待機も覚悟していたのだった。

 

さてほぼ定刻、読経が始まり、途中、お焼香となった。 すると、隣席の義弟が焼香台を持ってくれたので、椅子に座ったままで良かった。

 

約30分の読経が終わり、卒塔婆を持ち、皆が住職に礼を述べて、車で墓参りに行った。 読経の途中で外の豪雨が聞こえたが、幸い、雨は上がっていた。 そして、墓前への線香は義弟が備えてくれたので、私は合掌するのみだった。

 

こうして無事に、義父の7回忌の行事を終えた。 後はお清めの席であるが、皆の希望は、ありきたりの精進料理よりも洋風のコース料理の方が良い・・と言う事であった。 そこで一旦、平服に着替えてから、再度、出掛けた。 実は車で10分程のイタリア料理店に、予約を入れてあったのだ。

 

イタ飯のコース料理!? ハテどんなものかと、心配された諸姉諸兄、普通のイタ飯だった。 アッペタイザー、前菜、ピッザ、パスタ、アントレ(肉か魚)、パン、飲み物(コーヒーか紅茶)、デザートである。 これに、白のハウスワインデカンタを付けて。献杯をした。

 

うん、どれも口に合う。 それに、自家農園で栽培しているらしく、野菜やハーブが新鮮だ。 

 

それに、久しぶりに会う兄弟姉妹もいるので、話に花が咲き、盛り上がった。 そして、お開きの時、奇しくも誰かが言った。

 

   「あれぇ・・ 今日はおじいちゃんの話しは、しなかったね?」

 

ま、没後6年経つと、そんなもんかも知れない。

 

「社会保険審査会の審理について(通知)」  

9月中旬の某日、配達証明郵便が届いた。 見ると、厚生労働省からである。 中身は?

 

   「(もしかしたら・・)」

 

と思ったら、その通りだった。 つまり、社会保険審査会の開催案内である。 これは、私の障害年金3級から2級への額改定請求に対する再審査請求に呼応するものである。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2016/04/15/062432

 

3月上旬に社会保険審査会委員長から私宛てに届いた「(再)審査請求について」には、「受付から採決までに要する時間は、(・・)平均で8ヶ月程度を要しています」とあった。 先の社会保険審査会の開催案内によると、開催日が10月中旬と言う事で、ほぼ予定通りである。

 

問題は場所である。 厚生労働省のある霞が関なのだ。 では、アクセスは? 

 

  ① 公共交通期間

  ② 自家用車

  ③ ハイヤー

 

が考えられるが、何れもダメだ。 そもそも①で行ける程、元気(=身体能力)がないし、②で行く場合は運転者が問題となる。 妻は都内は運転できないし、私の運転では乗らないと言う。 ③は、費用の問題がある。

 

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そこで、代理人を立てる事を思いついた。 社会保険労務士か弁護士である。

 

先ずは、保険に詳しい社会保険労務士に訊いた。 私が通勤中に起こした転倒・骨折事故の時にお世話になった方である。

 

そこで、早速趣旨をメール送信した。 すると翌日、この辺の事には詳しくないのでお断りをしたい・・と言う趣旨の返信があった。 その会社のHPから、本人の略歴をみると、保険は代理店の業務であり、社会保険労務士でなく、中小企業診断士行政書士であった。 私の完全な早とちりであった。

 

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思い直して、株式の裁判でお世話になった弁護士に、同じくメールで照会した。 すると、受諾の返事を貰った! そこで、資料を添付し、料金を訊いた。 すると、着手金として半日日当を交通費込みで良い・・と言う。 つまり、3万円で良いと言うらしい。 また、成功報酬は、障害年金2級の金額が不明なので、後日相談となった。

 

そこで、社会保険審査会委員長には、本人が出席できないが、代理人が出席する旨の回答をしておこう。

 

リハビリ334―「調子イイみたいですね!」  

さて、今日の午前中に歯科医院に行き、午後からはリハビリの予定が入っている。 そこで、昼食を済ませて妻の運転で総合病院に出掛けた。

 

M医師の予診後、待合椅子に座っていると、担当のI士が声を掛けて来た。 空いている台を探し、軽い挨拶後、リハビリの施術開始となった。 すると5分程経った頃、彼が私に話し掛けて来た。

 

   「何か(今日は)、調子イイみたいですね! (待合椅子から立ち上がり、)ここに来る時も突進しなかったし、声も良く出てますし・・」

 

私には、意外だった。 と言うのも、別に自分としてはいつもと同じで、特に変わった事は・・ 変わった事? 変わった事は???

 

・・と言われても、今日は午前中、歯科医院に行った位しか無い。 もしこれが、準備運動になっていたら!!! 矢張り、歩行障害の改善・訓練として、歩行練習は有用である・・ と言うありきたりの結論が導かれる。

 

今日は普段より元気・・と言う思い込みからなのか、その後のリハビリでやった新技が、キツかった。

 

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I士は私の手脚のストレッチが終わると、台の上で私に四つん這いになる様指示した。 私は四つん這いになると、片手を上方に上げて上半身を開き、脊柱を捩じるストレッチを行った。 そして、一旦四つん這いに戻り、犬猫運動を数回行った。

 

続いて彼は私にうつ伏せなる様指示し、にこう言った。

 

   「そのまま、右脚を上げられますか? ハイ、左脚は?」

 

と。 まぁ、自覚出来たが余り高くは上がらなかった。 それでも、彼はOKしてくれた。 更に私に、

 

   「脚と対角の腕を上げてみて下さい」

 

と言った。 そこで私は、右脚と左手を上げた。 すると、今度は左右を入れ替える指示に従い、左脚と右手に替えて上げた ・・積もりだった。 しかし、特に左手は空中までは上がらない・・ 

 

すると、I士が手本を見せた。 見ると、手も足も床から10cm以上は上がっている。

 

   「(彼が出来るなら、私だって!)」

 

と思い直し、再びチャレンジした。 しかし、手は中々床から上がらない。 それでも、力が入っていた(=努力をしていた)のが分かったのか、それ以上は言わなかった。