パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

診察201607―3

こうして、7月の診察が終了し、我々は礼を述べて診察室を出た。 問題は新処方と、個人負担割合である。 そして、新たに追加処方された降圧剤は、「アムロジピン 5mg」と言う白い楕円形で、中央にスリットの入った錠剤である。 (ジェネリック

 

調べると、Ca(カルシウム)拮抗剤らしい。 ではなぜ、F医師はこの薬をファーストチョイスとしたのか? これは、ネット( http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se21/se2171022.html )の受け売りであるが、

 

・ この系統は効き目がよく、また安全性が高いので、高血圧の治療に第一選択されています。一般的には、安定した効果を発揮する持効タイプの製剤を用います(1日1回もしくは2回の服用でよいもの)。

・ 血糖、尿酸、脂質などに影響しません。年齢を問わず広く用いることができます。とくに合併症の多い高齢の人に適します。

・ 持効性のカルシウム拮抗薬を用いた長期臨床試験で、予後改善効果(長生き効果)も認められています。

・ 同類薬としては、ゆっくりと効きはじめ作用時間が長いのが特徴です。潮紅、頭痛、動悸などの副作用も少ないです。たいへんよく使われています。

 

副作用が少ないと言う事は、血管平滑筋への選択性が高い事による。 また血中半減期が34時間もあるので、1日1回の服用で良い・・と言う。 この他にも、薬価が安い・・と言うメリットもある・・ と推定された。

 

   ――――――――――――――――――

 

さて、問題は「アムロジピン」の個人負担割合である。 高血圧の原因が、①PSP-PAGFの症状なら2割、②抗PSP薬の副作用なら微妙、③PSPに無関係なら3割であろう。 まぁ、医師は②だと言うが、10割(健康保険不適用)はないだろう。・・

 

では、「指定難病医療費受給者証」の扱いは? これは、皆が関心のある所であろう。

 

と言うのは、指定医療機関で、「・・受給者証」を提示すれば、2割負担で済み、個人負担の上限が適用されるのは、そこに記載されている疾患(=指定難病)のみである。では、薬剤費を2割負担の分と3割負担分に分ける? 

 

実際には、薬局での領収書は2枚になっていた。 つまり、「アムロジピン」の負担割合が3割負担である。 では、他には? 基本料や薬学管理料が2割負担の方にのみ、付いている。 この点は、ラッキーだった。

 

では医師の再診料や処方箋発行料の内、どれ位を指定難病分とし、またそれ以外に分けるのか??? 現実的に無理だろう・・ 

 

で、は実際には? 2割の個人負担分のみの処方分が月額管理票に記載されていた。 キチンとしている。 ま、調剤関係でラッキーなのは上記の点(=基本料等が2割負担の方のみに付いていた事)だった。 

 

診察201607―2

で、一応書いては置いたが、改めてF医師は聞いた。

 

   「どうですか?」

 

と、訊きかれても、何の事だか分からないでいると、

 

   「体調は? 元に戻りましたか?」

 

と言う事だった。 勿論、肯定の返事をした。 メモには以下の様に書いて置いたが、確認のためだろう。

 

(2) 処方変更後の体調の変化について  (処方量は、1日当たり)

⑥ 処方の変更

薬  剤

診察前

診察後

マドパー配合錠 100mg

3 錠   

2  錠 

ビ・シフロール0.125mg

3 錠 相当

2  錠

ドプス 100mg

1 錠   

4.5 錠 

シンメトレル 50mg

4 錠   

4  錠 

         (注:診察後のビ・シフロール「 3 錠 相当」とは、ミラベックスLA錠0.375mg 1 錠の意味)

⑦ これにより、体調は従前まで戻った。 (特に疲労感や姿勢反射障害からの恢復)

 

さて、いよいよ本日のキモである。 血圧の話題になったので、妻が「家庭血圧日記」の記録を提示した。 きっと次の項目を見たのだろう。

 

(3) 血圧について 

⑧ 前回受診時より、「家庭血圧日記」に記録を開始した。 その結果は、収縮期で概ね150~160mmHg、拡張期で100~110mmHgであった。

⑨ 日本高血圧学会の判定基準(140/90)または日本人間ドック学会値(147/94)に照らして、高血圧!

 

これについて、F医師は、

 

   「下(拡張期血圧)が高いのが拙いんですよねぇ・・」

 

と言い、そして意外な事を呟いた。

 

   「血圧を上げる薬と下げる薬を同時に処方すると、健康保険が通らないんだよなぁ・・」

でも、別の病院に掛かれば、3割負担だったりして? そして、まぁ、釈然としないまま、降圧剤が処方される事になった。 さて、PSP用の処方は変更がないので、残るは次回の診察日の予約のみとなった。 そこで、6週間後の同時刻をお願いして、本日の診療を終えた。

 

尚、メモには下記も添えたが、F医師からのコメントは無かった。

 

 (4) その他 

⑩ 前回、指定難病医療費受給(更新)のための「臨床調査個人票」のご記入を有難うございました。

⑪ 7月〇日に申請し、無事に収受されました(=受け付られました)。

 

診察201607―1

リハビリが終わったら、今日は診察のある日だ。 そこで、妻と私は脳神経内科の待合室に急いだ。 ・・と言っても、焦ると余計あしがすくむので、車椅子を借用した。

 

またしても、F医師だ。 まぁ、選り好みを言っているのでなく、前任のS医師に十分なお礼を申し上げられなかった事が心残りだ・・と言う意味である。

 

そして、20分程で呼ばれ、診察室に入った。 私はこの5週間の様子を記したメモを渡した。 そこには、次の様に書いて置いた。

 

(1) 前回受診(2016年6月○日)以降のイベントと体調について 

① 6月○日・〇日、ターミナル駅近くの○○○○勤務の友人(烏賊博士)と抄読会を行った。 (一人で車を運転した。)

② 6月○日、市内のレストランで、義妹達の誘いで妻の慰労会のランチに参加した。 (妻が運転)

③ 6月○日、義妹夫婦の誘いで、所沢ゆり園に出掛けた。 身障者用駐車場に停めたが、園には貸出用の車椅子は無く、義弟の肩を借りて園内を散策した。 昼食をサイボクハムで摂ったが、敷地内では車椅子を借用した。 当日の歩数は2000弱であり、帰宅後も余り疲労感は無かった。 (義弟が運転)

 

    http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20160701/20160701135450.jpg

 

    http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20160701/20160701135452.jpg

 

    http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20160701/20160701135453.jpg

   

④ 6月○日、腰痛のため北本市内の整形外科を受診、セレコックス・湿布薬等の処方を14日分、受けた。原因は「6月○日のリハビリ時、うつ伏せで両腕を床に着けて背を反らすストレッチを実施した時、I理学療法士の『お臍を床に着く様に』と言う指示を受け、目一杯反った。 しかし、不十分だったらしく更に腰が押された。 この時、背が十分反らなかったために、その分、腰の角度が代償的に急角度になった」ため。 尚、服薬開始の一週間後に、ADLはほぼ回復した。 現在は、殆んど寛解している。 (整形外科へは、一人で車を運転)

⑤ 7月○日、法事のため、隣町の○○院(法要)と墓(納骨)に、その後○○市内のレストラン(清めの席)に行った。 当日は特段転倒もなく、寧ろ親戚から歩容が改善している旨を言われた。 これは先生の処方とリハビリの効果と思われた。 当日の歩数は、約1200。 (妻が運転)

 

F医師はじっくり読んでいる。 そして、私に

 

   「車は、お好きなんですか?」

 

と訊いた。 私は最初意味が分からなかったが、運転の事だと分かった。 私が、

 

   「普通です」

 

と答えると、妻がチャチャを入れた。

 

   「主人には危ないので、運転は止めて欲しいんですけど・・ 子供達は、主人が運転出来ないと、出掛ける時は常に私と一緒になっちゃう、一人で出掛けたい事もあるんじゃない?・・って言うんですぅ・・」

 

と。 ホントに、妻の送迎で浮気をする訳にも行かない。(ナイナイ)

 

リハビリ323―担当はH士

2016年7月中旬の今日は、総合病院にて診察を受ける日だ。 以前、折角病院に行くのだからその前にリハビリも受けたい旨を申し出たら、いつものI士は不在なので、代わりの理学療法士が施術する事になっていた。

 

そして、いつものM医師ではない、若い医師の予診を受け、待合椅子に掛けていると、男性が、

 

   「少し早いのですが、よろしいでしょうか?」

 

と寄って来た。 そして、首から下げた名札を示し、

 

   「Hと申します」

 

と名乗った。 そう、今日のピンチヒッターである。 勿論、早くやる事に異論はない。

 

すると、空いている台を探して清拭した。 そして改めて挨拶を交わし、施術開始となった。

 

   ―――――――――――――――――

 

マッサージ・ストレッチ等は、I士のそれとほぼ同じだった。 ただ全体として、遠慮があるのか、力は8掛けであった。

 

で、後半に

 

   「では、向こうの部屋で階段の練習をしましょう」

 

と言い、私に靴を履く様、促した。 そして、半階下のジムに行った。 ただ、私は方向転換が苦手なので、そこだけユックリと歩いた。

 

で、ジムの壁際に練習用の階段が置いてある。 勾配の緩い4段のステップとそれより勾配のきつい4段のステップが90度違って設置してあり、夫々の両側に手摺りが付いている。 前者は駅の階段、後者は家の階段のイメージである。

 

H士は私に、①緩勾配側から昇り急勾配側から降りる、②急勾配側から昇り緩勾配側から降りる、③緩勾配側の昇り降り、④急勾配側の昇り降りを取り混ぜて実施する様、指示した。 私は階段の昇降は得意なので、手摺りを使わずにやって見せた。 勿論、H士は私の階段昇降能力を評価した。

 

さて、元のリハビリ室に戻り、残り時間を歩行訓練に使った。 今回は以前やった事のあるものである。 即ち、立位で右脚を太腿が水平になる位まで高く上げ、その膝を左手で叩く。 続いて上げた右脚で着地する。 左右を入れ替えて同じ動作をする。

 

この動作の意味は、幾つかある。 先ずは片足立ちのバランスである。 続いて高い脚上げ動作である。 そして、一歩一歩着実にユックリと歩く事(歩行リズム)であり、最後に上半身の回旋運動である。

 

本当は、まだあるかも知れない・・

 

こうして、H士によるリハビリが終了した。 壁時計を見ると、予定終了時刻の10分前である。 しかし、その分早く始まったのであるから、納得である。

 

リハビリ322―歩行練習

さて、2016年の7月上旬の某日、リハビリの予約日となった。 そこで、妻の運転で総合病院に行った。 リハビリ室に入り、M医師の予診を受けて待っていると、担当のI(理学療法)士が前の患者に施術しているのが見えた。 向こうも我々に気付いたらしく、小さく会釈した。

 

しかし、定刻になっても、まだ前の患者と話している。 結局、5分遅れで私の番となった。

 

I士はボードを持って、

 

   「今日は月初めなので、こちらを作らせて貰います」

 

と言いながら、ボードに挟んだ「リハビリテーション実施総合計画書」を示した。

 

   ―――――――――――――――――

 

空いている台をI士が清拭し、施術開始となったが、I士は予め私に腰の様子を尋ねたので、私はほぼ恢復した旨を伝えた。 そのため、犬のポーズでは、私が可能な範囲で反った。

 

やがて、いつものマッサージやストレッチを終えて、I士は私に靴を履く様指示した。 そして、少し高めの台に並んで座り、先週と同じ横揺れとそこからの回復の練習をした。 実はこれが、次の訓練の伏線だったのである。

 

さて、今日の課題である。 I士は、私に

 

   「歩いて、向こうの部屋に行ってみましょう」

 

と提案した。 向こうの部屋・・と言うのは、半階下のリハビリ室であり、主に入院患者が使用している。 そして、色々な器具や道具があり、さながらジムの様だ。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/20120715/1342321437

 

彼は私の隣に寄り添う様に歩き、歩行経路を指示した。 彼の指示したルートは、部屋を四角く廻るものだ。

 

所が、そのルートの途中には器具がはみ出ていたり、施術者用のキャスター付きの丸椅子が置いたままになっていたりして、その脇を通る時、つい足がすくんでしまう・・

 

更には、もともと姿勢反射障害のある私は、方向転換時にもすくんでしまうのである。 この時、身体が左右にぶれてしまう。 この時、不安定な姿勢からリカバーする練習が、先の訓練であった。

 

成る程、I士の頭の中では、きっとその様に組み立てられていたのだろう・・ リハビリの奥は、深いのである。

 

初めてのディケァ体験記

 

2016年7月上旬の今日は、義母の人生初のディケァの日だ。 義母は勿論、妻や私まで、落ち着かない。 それはきっと、

 

   「上手く馴染めるだろうか?」

 

と言う、漠然とした不安があるからだろう。

 

朝9時半、ほぼ定刻に迎えのバスが市道から庭に入ってきて、義母が乗った。 まるで、幼稚園バスによる送迎の様だ。 以下は、妻から聞いた義母の話しである。

 

   ―――――――――――――――――

 

さて、不安と共にバスに乗ったら例の知人が一人のみ・・ 早速

 

   「こっちこっち! 私の隣に座って!!!」

 

と呼ばれたそうだ。 当然、道中、お喋りしっ放し。

 

で、午後4時15分頃バスに送られ、無事帰宅。 早速、気になる印象を義母に訊くと?

 

   「あぁ、楽しかった!」

 

と。 訊けば、何かの練習やらゲートボールの様なゲームやら昼食やら入浴やら、沢山のイベントをこなして来た様だ。 それを聞いて、妻は

 

   「やっぱ、先生の言う通りねぇ。 テレビがお友達じゃあ、ダメなんだ」

 

と。 それに、先の知人以外にも、顔見知りが何人かいたらしい。 義母は、

 

   「なーんだ、みんな歳取れば、こう言う所(=介護施設)に来るんだぁ」

 

と、納得した様だ。

 

まぁ、週3回は何とか続けられそうだ。 楽しい事が継続のためには、一番である。

 

それに、妻は

 

   「夏になったら、毎日行ったらイイじゃない! 涼しいし、食事もお風呂の心配ないし・・ それに畑だって、夕方5時頃、涼しくなってからじゃないと出来ないし・・」

 

と。 まぁ、合理的だけど、週5日というのはどうだろう、義母はそれに対して無言だった。

 

指定難病医療費受給者証の更新

2016年7月となった。 

 

現在の指定難病医療費受給者証の有効期限は、2016年9月30日迄である。 そして更新手続き用書類一式が、6月始めに自宅に郵送されて来たので、総合病院の受診時にF医師にお願いしたら、その日のうちに書いてくれた。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2016/07/10/070426

 

そして、7月1日から受付が始まった。 去年は、初日に行き結構待ったので、今年は1日を避け、上旬に行った。 ・・と言っても、代理の妻だけだ。 以下は、妻からの報告だ。

 

   ―――――――――――――――――

 

10時前に保健所に到着すると、去年と同じ場所で、同じ方式。 ただ、番号札が36だった。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2015/08/06/072537

 

妻は、

 

   「初日でもないのに、随分混んでるなぁ・・」

 

と思ったそうだ。 きっと対象疾患が増えたためだ。 見回すと、殆んどが健常者なので、代理申請なのだろう。 勿論、中には杖をついた老婆もいたが家族と思われる付き添いがいた。

 

でも、そこで暫く待つハメになった。 と言うのは、折角担当官が複数いても、一人当たりの時間が掛かっているからだ。 

 

漸く自分の番が来たが、書類が完璧だったのか直ぐに受け付けられ、「指定難病医療費給付継続申請者 様」と言うA4の紙に収受印を貰って帰ってきた。 その紙には、今後の進捗や受診上の注意、領収書原本・月額管理票の保管を促す旨が書いてあった。

 

尚、それとは別に。「経過措置対象者(白色の受給者証)へのお知らせ」と称するA4で1枚の紙も渡された。 そこには、現在の経過措置が平成29年12月31日で終了し、平成30年1月1日からは、

 

   ① 臨床調査個人票による審査が行われる事

   ② 自己負担上限月額が変わる事

   ③ 重症認定が無くなる事

 

の旨の記載があった。 

 

この内①は、これまで経過措置対象者は、形式的な審査のみだったのが、次回から実質的な審査がある・・と言う事だ。 審査があれば、当然、通らない人も出て来るわけで、その患者を「軽症者特例による救済措置」により救う旨が記されている。

 

次の②は、殆んどの経過措置対象者にとっては、改悪である。 

 

最後の③は、幸いな事に、私には無関係である。