新年会
2014年の正月を、無事に迎える事が出来た。 新年の挨拶は、
「新年、明けましておめでとうございます。」
であるが、病を得てからは「本当に新しい年を無事に迎えられた」と言う実感が湧く。
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1月1日の我が家は、家族で過ごすと決まっている。 朝8時起床、8時半朝食(雑煮)も長年の暗黙のルールだ。 そして家長である私の新年の挨拶を皆で唱和し、食事となる。 もちろん、雑煮だ。
1月2日は、妻の実家で新年会と決まっている。 11時集合、12時開宴も長年の習慣だ。 今年も11時頃になると親戚が三々五々集まり、会場作りが始まった。 私の体調不良は皆知っているので、準備が出来てから着席させて貰った。
何しろ、毎年15~18人の大所帯となる。 今年は甥が妻と子2人を連れて来たので、20人に膨れ上がった。 そして、例年は私の挨拶と乾杯の音頭で宴が始まっていたのであるが、今年は義弟がやってくれた。 きっと私の体調不良(構音障害)を気遣っての事なのだろう。
男性のアルコールはビールのみ、しかも500ml缶が一人2本しか買っていない。 (本当は、予備がある。) 女性は、2リッターのペットボトル入り烏龍茶かジュースを飲んでいる。 私はただでさえ足取りが覚束ないのに、アルコールが入ると転倒のリスクが高まるので、食事と一緒にスローペースを守った。
12時に予約してあるテイクアウト寿司やオードブルが届くと、早速乾杯である。 皆、割り箸を割るのももどかしく、寿司を突っつき始めた。 一瞬の静寂が訪れ、ただ聞こえるのはテレビから流れる箱根駅伝の実況中継のみとなる。
お腹が膨らむと、また喧騒となる。 皆で持ち寄った料理も美味しい。 そしてその喧騒も、再び収まる時がやって来る。 そう、祖母が孫達にお年玉のポチ袋を配り始めたのだ。 孫といっても、皆成人し、社会人もいる。 それでも、平等に配るのであるから、かなりの出費だろう。 でも、皆がこうして集まり談笑できる事が金額では表せない幸せである事は、口にこそ出さないが祖母はもちろん、皆実感している事だろう。
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途中、私が宴を退席したら、義妹が
「大丈夫ですか?」
と、声を掛けてくれた。 きっと私が杖を頼って退席する姿を見て、自分も離席したのだろう。 その優しさに、つい
(少し、酔っちゃったみたい・・)
と甘えてみたかったが、
「いえ、チョッとお手洗いに・・」
と、心にも無い事を言って、取り繕ってしまった。
こうして、今年も、無事に新年会が出来た。
そして2日の晩は、待ちに待った「姫始め」。 今年はバイアグラ・ジェネリックもあるので楽しみにして、暮から禁欲していた。
所が・・