パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

「沈黙のひと」第二、三章

父の遺品に中古のワープロ機があった。 衿子が、パーキンソン病による振戦や小字症で文字が書けなくなった父・三國のために、買い与えたものだ。 そのワープロ機は、衿子が会社の部下に頼んで見繕って貰ったもの。

 

しかし、介護施設から衿子の自宅に届いたワープロ機を動かすには、再びその部下の力を借りる必要があった。 修理のためとはいえ、女の一人暮らしのマンションに独身男性を招き入れた結果・・

 

ワープロ機は修理され、そこには遺品中の通信ファイルには無かった、父の飾らない姿(心の軌跡)が「覚書」として綴られたファイルがあった。

 

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パーキンソン病であろうと無かろうと、人は必ず死ぬ。 その時、誰に何を遺すかが問題だ。 遺言には、財産分与や子の認知が書かれる事が多い。 しかし、自分の生きた記録や本音(愛憎や相克)は、どういうカタチで残せば良いのだろうか?

 

三國の場合は、それが動かないワープロ機中のハードディスクだった訳だが、その中には自分の前妻の娘・衿子にでさえ読まれたく無かった文書もあったかも知れない。 特に、後妻・華代との葛藤を綴った件(くだり)は・・ 

 

私もこうして、ブログを書いている。 しかし、このURLは家族には知らせていない。 ブログではハンドルネームが唯一のIDだ。 すると実在する「私」個人とブログ中の「私」を結び付けるもの(手段や確証方法)は、何も無い事になる。

 

そこには、ほぼ必然的に二律背反(ダイレンマ)が生じる。 ま、旅立ちが近くなったら、考えよう。