義父の一周忌
2011年9月の中旬、前年9月27日に他界した義父の一周忌の日となった。 この日に向けて、妻は義母や義妹達と準備を重ねてきた。 お寺との日程調整、参列者への周知、宴席の予約、宴席の進行、卒塔婆や盛り籠、お花・線香等の準備、引き出物のセットアップ・・
私も前日、夏用の礼服を試着しておいた。
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11時から菩提寺で、法要が開始となる。 その20分前に、家族で到着した。 主催者なので、少し早めである。
義弟達が会場のセットアップをし、住職が遺影や位牌、お供え物を整えた。 途中、焼香を挟んで、約30分間の読経であった。
それにしても、危険が一杯である。 罹患前は気にもならなかったが・・ 先ず通路の敷石に段差が多い。 階段は一歩の幅が大きく、手すりが無い。 靴脱ぎ場にも手すりどころか、摑まる所すら無い。 まぁ、古い建造物なので、そもそも「バリアーフリー」の概念すら、無かったのだろう。
親戚の目も多いので、私は極力「普通に」振舞った。
その後、墓参りである。 石段もあるので、どうしてもバランスを崩しがちとなってしまった。 それでも何とか、線香を上げ、合掌して次の墓参者と交代をした。
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この日最後の行事は、お清めの席である。 声が出にくい私は挨拶を避けてもらい、献杯の発声の役割を申し付かった。 司会の案内で献杯の発声の指名を受け、
(それではご指名を賜りましたので、献杯を執り行います。 皆様、お飲み物のご用意は宜しいでしょうか?)
(それでは○○院○○○○居士のご冥福と、本日ご参会の皆々様のご健勝を祈念しまして、献杯をします。)
(献杯!!!)
と言いたかった。 しかし構音障害があるので、皆の飲み物の準備が整った頃、
と言うのが精々だった。
以降の宴席では、努めて目立たない様にしていた。 本来、それ(=消極的)ではダメなのであるが・・