パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

診察201611―3

そこには、「ノウリアスト錠20mg」に関する説明が書いてあった。

 

   http://database.japic.or.jp/pdf/newPINS/00061371.pdf

 

私は「ヘェー」と思った。 先任のS医師の時は、量の変更はあったものの、新しい薬の提案は無く、こちらから「シンメトレル」(一般名:アマンタジン)の処方をお願いした位である。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2015/07/29/085053

 

私が厚いマニュアルの当該項目を見ていると、F医師は、

 

   「ただ、値段が少し高いんですよねぇ・・」

 

と言った。 妻が、それでも構わない旨を伝えると、

 

   「じゃあ、この20mgのを・・ 一週間分? 10日分?」

 

と訊いたので、私が10日分をお願いすると、

 

   「それでは、10日分出しておきますので、次回、様子を報告して下さい」

 

と言った。 続いて、プラミペキソールについて、

 

   「0錠かなぁ、1錠かなぁ・・」

 

と迷っていると、妻が

 

   「余り、急に減らさないで下さい」

 

と言ったら、1錠になった。

 

いよいよ報告事項のみとなった。

 

(4) 高血圧について 

 

これを見てF医師は、

 

   「じゃあ、アムロジピンも出しときますねぇ」

 

とのみ言った。

 

(5) 身障者手帳の申請について 

  • 前回、身障者手帳の申請について、T医師をご紹介頂いきました。 有難うございました。
  • 10月〇〇日、T医師の診察を受けた。 評価は、「2級相当、軽度化による将来再認定:不要」と。
  • 10月〇〇日、診断書を拝受し、同日、直ちに市役所にて申請した。

 

これに対して、F医師から特にコメントは無かった。

 

さて残るは、次回の予約日の決定のみとなった。 それについて、F医師はこう言った。

 

   「年内に、もう一度診せて下さい」。

 

と言う事で、次回は12月下旬となった。 私達は、礼を言って診察室を出た。

 

   ――――――――――――――――――――

 

こうして11月の診察を終え、予約票や処方箋が出来るのを待っていると、血液検査の結果まで付いて来た。 恐る恐る下に目を遣ると・・ オオ、またしても全クリである! この歳で!!!

 

これで、PSP-PAGFの疾患さえ無かったら・・ と、また思ってしまった。

 

処方薬を受けるため、妻のみが会計をして処方箋を持って、薬局に行った。

 

今日は、診察前検査があり、新しい薬も処方され、時間が掛かってしまった。 しかし、新しいタイプの薬である事から、楽しみである。 と言うのも、パーキンソン病の運動症状に効くらしいので・・

 

診察201611―2  

さて、検査から帰る時間を見計る様に、次の患者が終わると直ぐに呼ばれた。 私は車椅子を降りて、杖を使って診察室にはいった。 そして、いつものメモを渡した。

 

(1) 前回受診(2016年10月〇日)以降のイベントについて

 

  ① 10月〇〇~〇〇日、長瀞秩父家族旅行に行った。 家族のサポートを受け、特に問題なく過ごせた。

  ② 10月〇〇日、障害厚生年金3級から2級への額改定請求に対する再審査請求に対して開催される社会保険審査会(於:厚生労働省)に出席。(弁護士の車・運転で、現地では車椅子を借用)

  ③ 10月〇〇日、第1回の調停のために家庭裁判所へ。(妻の運転で、現地では車椅子を借用)

  ④ 10月〇〇日、〇〇市の〇〇モールで、ポップサーカスを堪能。(妻の運転で、現地では車椅子を借用)

  ⑤ 10月〇〇日、11月〇日、〇〇駅前の〇〇学園にて、友人と勉強会。(一人で運転し、杖を使って単独行)

  ⑥ 10月〇〇日、苗場スキー場(新潟県)のゴンドラから紅葉観賞。(義弟の運転で、妻と義妹夫婦と義母)

  ⑦ 11月〇日、滑川町の森林公園にて、友人と3時間の輪行。(一人で運転し、杖を使って単独行)

 

そして、夫々のイベントの写真を添えたら、F医師は妻と私が写った一枚( http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20161020/20161020233234.jpg )を指さして、

 

   「これは?」

 

と訊いた。 妻が、

 

   「あっ、それは・・ 長瀞のライン下りの時の(写真です)・・」

 

と答えた。 そして、次の話題に移った。

 

(2) 体調について  

 

  ① 前回より、マドパー配合錠を2錠/日から0に減量したが、(自覚として)体調に変化は無かった。

  ② 上記⑥・⑦の際、当日は疲れたが、その後の2~3日は、体調が改善した。(現在は、元にもどった。)

 

これを見て、特にコメントは無かった。

 

さて、いよいよ本日のメインイベントである。 

 

(3) 処方について  (処方量は、1日当たり)

 

  ① 処方を次の様に希望します。

薬  剤

現在

希望

プラミペキソール0.125mg

2  錠

0~1  錠

ドプス 100mg

6  錠

6  錠 

シンメトレル 50mg

4  錠 

4  錠 

  ② 希望の理由(プラミペキソールの減量)
       ・ D2アゴニストは、進行性核上性麻痺、特に純粋無動症には奏功せず。(一時的に有効な時もある。)

   ・ 平成26年12月15日よりプラミペキソールの副作用を避けるため、0.5mg×3錠/日から0.125mg×3錠へ、更に平成27年5月11日より0.125mg×2錠に減量し、最終的に0錠にする途中だった。

 

これを読み、F医師はこんな提案をした。

 

   「どうですか、新しい薬を試してみましょうか。」

 

と言いつつ、厚い辞書の様な「処方マニュアル」(?)のパーキンソン病の項を広げて見せた。 そこには・・

 

診察201611―1

さて、リハビリが終わると、今日は診察のある日だ。 そこで、外来(患者)用車椅子を借用し、脳神経内科に行った。 待っていると、見た事の無い看護士が、私の名を呼んだ。

 

訊くと、採血と検査が終わっていない・・と言う。 確かに、受診案内票を見ると、書いてある・・ あれ? 確かこの8月に血液検査と心電図検査をやったばかりじゃないか?

 

と思って予約票を見ると、診察前に検査がある旨が書いてあった。 今までは、医師が

 

   「次回は、診察前に検査があります」

 

と言ってくれたものだった。 F医師は、言葉が少ないのである。 でも、教訓としよう。

 

   ――――――――――――――――――――

 

妻と車椅子に乗ったままの私は、その受診案内票を持って、検査室に向かった。 

 

   「しかし、診察前に検査があるならあると言ってくれれば、イイのに・・」

 

と、妻は未だに不満顔である。 それは、検査結果が出るのが遅くなると帰るのが遅くなるので、その不満は分からないでもない。 しかし、予約票に書いてあるので、

 

   「まぁ、そう言う先生なんだ・・と思うしか無いんじゃない?」

 

と言うと、少し納得した様だった。 

 

   ――――――――――――――――――――

 

検査受付に受診案内票を出すと、

 

   「最初に、採血があります」

 

と、奥の方を指した。 無事に採血が終わると、

 

   「次は心電図(の測定)がありますので、入口付近でお待ちください」

 

との案内を受けた。 待っている、男性技師が声を掛けて来た。 私は一瞬、「えっ?」と思った。 今まで、男性技師だった事が無かったからである。 勿論、検査内容は技師の性別とは無関係だ。

 

こうして無事に検査が終了し、私達は元の脳神経内科に戻った。

 

リハビリ346-気持ちイイ

さて、2016年11月中旬の今日は、リハビリと診察のある日だ。 と言う事は、ルンルン・・ またしてもI士は休みで、代わりに女性理学療法士のTA嬢が担当する日だ。 イヤ、ここは悟られては拙い。 平常心、平常心!

 

ほぼ定刻、TA嬢が「○○さーん?」と声を掛け、空いている台と枕とを清拭して、リハビリが始まった。 私は台に仰向けになり、その上からTA嬢が両手で私の骨盤を抑えた。 まぁ、「骨盤を開く」ためであり、I士も同じ事をやるが、問題は親指の位置である。 つい、

 

   「あっ! そ、そこは・・」

 

と考え過ぎてしまう。

 

   ――――――――――――――――――――

 

その後、大きなボールを使って、下半身のストレッチを行った。 更に肩幅位の長さの紙筒を探して来て、両手で握って上下・左右・前後と台に腰掛けて、上半身の捻転を行った。

 

さて、TA嬢は直径15cm位のピンクの半球を持って来た。 周囲には大きな突起(イボイボ)が、ハリネズミの様に付いているが、質感は柔らかいゴムの様だ。 これを、一体どうするんだろう・・

 

と思っていると、彼女はそれを3m程離れた床に置き、それを歩いて廻って来る様、言った。 そして私が戻ると、向き直って今度は反対廻りをして戻る様指示した。 更には、平行棒内歩行を試したい・・と言い、私の後ろから付いて来た。 すると、私を後ろから支えるために手を脇の下に入れて来た。 勿論、服があるので、そのままでは入らない。 そこで、指先を左右に振って進むのであるが、それが丁度「コチョコチョ」となるのである。

 

いやぁ、悶えそうになってしまった。 それも、他の機会にも・・

 

   ――――――――――――――――――――

 

そして、いよいよお別れの時がやって来た。 別れ際に、TA嬢は本日の総括をした。

 

   「向きを変える時にすくみ易い様なので、そういう時は、一旦止まって下さいね」

 

と。 そして次回の予約をしようとすると、その週はI士が休暇らしい。 と言う事は!?! 

 

   ――――――――――――――――――――

 

女性理学療法士の感想ですか? まぁ、前回とほぼ同じですが、

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2016/11/10/070751

 

兎に角、手が暖かい。 しかし、前回から6週間、低温期のハズである。 でも、彼女の手の暖かさは、それでは説明出来ない・・ まるで「手かざし」の様である。 そのため、気持ちイイので、ついウトウトと落ちてしまいそうになってしまった。

 

彼女はそんな私の様子に気付いたのか、偶々、次の施術に移る所だったのか、

 

   「○○さーん?」

 

と呼び掛けられて、フと我に返った。

 

私の疾患とその現状について―年頭の挨拶に替えて

新年、明けましておめでとうございます! 2017年(平成29年)となりました。 松が取れるまで日本中で繰り返されるこの「明けまして・・」と言う挨拶であるが、病を得て、齢(よわい)を重ねると「ああ、何とか一年、過ごせた」と言う実感に繋がります。

 

さて、新しい年の初めに臨み、昨年までの事をまとめておこう。

 

2009年(平成21年)8月頃、私は歩行に異常がある事を自覚。 爪先歩行になりがち

          で、意識して踵から歩く。

2010年(平成22年)1月、家族の薦めもあり、市内の脳神経外科を受診。 正常にて

          終診。

2010年(平成22年)8月、歩行異常が継続し、現在も受診中の総合病院の脳神経内科

          を受診。 担当のT医師はパーキンソン病(以下、「PD」)を

          疑うも、否定し、多系統萎縮症の可能性もあるとした。

2011年(平成23年)4月、新担当のI医師はパーキンソン症候群(以下、「PS」)と

          診断。 

2011年(平成23年)12月、自動車運転免許証の更新を行った。

2012年(平成24年)5月、I医師の勧めで同院のリハビリ(テーション)を開始。

2013年(平成25年)10月、この4月から新担当になったS医師に依頼してあったセカ

         ンドオピニオンを某大学病院で実施、進行性核上性麻痺(以下、

         「PSP」)の非典型例である純粋無動症(以下、「PAGF」)と

         診断される。

2014年(平成26年)5月、S医師のPSという診断書により、障害厚生年金3級となる。

2014年(平成26年)12月、S医師のPSPとの診断書により、特定疾患医療費給付を

         受ける。

2015年(平成27年)1月、法改正により、特定疾患が指定難病となる。

2015年(平成27年)6月、退職により、協会けんぽの任意継続を選択した。(2年間)

2015年(平成27年)11月、S医師のPSPとの診断書を受け、障害年金2級への額改定

         請求をする。

2016年(平成28年)4月、新担当のF医師は、処方をPD用に変更、ADLが低下した。

2016年(平成28年)11月、障害年金2級への額改定請求が却下される。

2016年(平成28年)12月、自動車運転免許の更新を行った。

2016年(平成28年)12月、身体障害者2級が承認された。 早速、自動車税の免除を

         受けた。

2017年(平成29年)1月、こうして、無事に新年を迎える事ができた。

 

では、その間の症状の変化は?

 

2009年~2011年位までは、何とか2足歩行できた。しかし2011年1月、突進歩行により転倒して左上腕骨を骨折してしまった。 その後、杖に依存する様になった。 それでも症状は進み、2015年には杖を使うも歩行がぎこちなくなり、外出先では車椅子を借用する事となってしまった。

 

外出時に車椅子が必要となるなら、自前で用意するかレンタルしたい。 そのためには、身障者手帳が欲しい・・と言うことで、第15条医師(T医師)の診察を受けたのが、2016年の10月であった。

 

その後、F医師が見繕ってくれた抗PD薬・ノウリアストが奏功し、2足歩行すら可能になった。 丁度その頃誕生日が近づき、自動車運転免許証の更新が出来たのだった。 更にその後、2級の身障者に承認された・・と言う通知が届き、(同)手帳の交付を受けた。

 

こうして、現在に至っている。

 

このブログは闘病記であるが、病気に関連する事は勿論、余り関係のない日常の事まで綴っている。 その意味では読者のご期待に副えられるか否か不明であるが、どうかこの点も含めてご批判を賜りたい。

 

以上、新年の挨拶と致します。 では、本年もヨロピクゥ!!!

 

抄読会―13

続いて、突進歩行についての烏賊博士の高説を伺った。 彼は脳幹から脊髄の絵を描き、こう言った。

 

   「この領域には、内在的に歩速を決める領域があって、その歩速は速い。 それを上位の脳(大脳皮質系?)で抑制し、普通の歩速になる。」

 

つまり、歩速は普段は上位の脳でコントロールされてユックリとなるが、何らかの理由でそのコントロールが効かなくなると、脳幹(~脊髄?)の信号が優位になり速くなる・・と言うのである。

 

うーん、除脳ネコでの下肢のツッパリ実験に似ている。

 

   ――――――――――――――――――――

 

皆さんの考えは、どうだろう?

 

私の印象は、彼の説とは異なる。 そもそも突進歩行が起こる時は、前傾姿勢になり、転倒を防ごうとしても歩幅が小さくしか取れず、益々前傾姿勢になってしまう。 この悪循環の結果、突進してしまい、最終的には転倒してしまう。 この時、意識は姿勢の回復に集中し、やがてそれが無理と分かると、どうやったら怪我を最小限に抑える事が出来るかを、一瞬、頭の中を巡らせているのである。

 

私が疑問を持っている事を表情から読み取ったのか、烏賊博士はこんな質問をした。

 

   「異常な歩き方の場合は、どうなの(=突進するの)?」

 

   「異常な歩き方・・って?」

 

   「例えば、後ろ歩きとか、横歩き・・とか」

 

   「後ろ向きで歩くって、怖いんだぁ。 後方突進現象もあるしぃ・・ でも横歩きなら、出来るよ! やって見せるね!!!」

 

と言いつつ、私は椅子から降りて、床の上でのカニ歩きを往復して見せた。

 

   ――――――――――――――――――――

 

さて、問題は帰路である。 すると彼が車の所まで、エスコートしてくれる・・と言う。 そして、人気(ひとけ)のない所では、カニ歩きで進んだ。

 

こうして漸く車に辿り着け、無事に帰宅できた。 尚、車の運転には、支障ないのである。 不思議に思われるだろうが、彼によれば下肢の機能を、

 

  •  体重を支える機能
  •  足を動かす(前に出して進む)機能

 

に分けて考えるらしい。 例えば、直立姿勢の維持は①のみ、自動車の運転や自転車漕ぎは②のみ、歩行や自転車の立ち漕ぎは①と②である。 どの様な場合に障害が顕著となるかは、明白だろう。

 

抄読会―12

私の友人・烏賊(いか)博士との抄読会も久しぶりだ。 今回、彼は私の歩行異常に対する彼なりの説を提唱するすると言う。 それを楽しみに、彼の勤務する各種学校に、車で出掛けた。 勿論、単独行なので、自分の運転だ。

 

で、無事に校舎隣のコインパーキング式の駐車場に着いた。 しかし、ゲートに近づいても、バーが上がらない・・ 表示を見ると「満」の文字が見える。 そこで、道一本隔てた建物の正面にある広い駐車場に入れようとした。 所が、ここも「満」杯だ・・

 

まだ、約束の時間までは、時間がある。 こうなったら、某大手家電店隣りの立体駐車場を借りるしかない。 ま、30分200円なので、料金は近所の相場と同じだ。 私は右折して、その駐車場に入った。 1階は既に一杯だったが、2階にはポツリポツリと空いている場所もある。

 

そこで、私は2階に停め、歩行者専用階段を使って道路に出た。 しかし、そこは見た事も無い景色である。 一瞬、方向音痴になってしまったが、ま、勘で戻れた。

 

それにしても、学校までの距離は遠い・・ まぁ、距離にして300m位なのだろうが、私にとっては遠距離だ。 段々疲労が蓄積すると前屈みになり、突進してしまいそうになる。 事実、学校の入り口まであと10m程の所で、突進歩行になり、転倒してしまった。 

 

まぁ、顔面制動は免れたが、左手に擦過傷を負ってしまった。 立ち上がろうとすると、男性2名が近寄って、声を掛けてくれた。

 

   「大丈夫ですか? どちらまで(行くんですか)?」

 

   「えぇ・・ そこの○○学校まで」

 

と答えると、直ぐ近くだと思ったのだろう、私の左側に位置して私の左腕を自分の肩に廻した。 そして、彼に支えられながら右手の杖を使いながら歩き始めたら、丁度、烏賊博士が向うからやって来た。 私の姿を見て悟ったのだろう、支えてくれている男性と話し始めた。

 

   「今日は、どちらまで?」

 

   「勉強会に・・」

 

   「じゃあ、2階の会議室ですか?」

 

   「えぇ、その前に4階で食事を・・」

 

と言いながら、建物に入り、エレベータに乗った。 エレベータには、一見して職員と分かる女性がいて、烏賊博士と顔見知りの様だ。 やがて、エレベータは4階に着いた。 左腕を男性の肩に預けたまま少しずつ向きを変え、エレベータを降りて椅子に腰掛けさせて貰った。 すると、何事かと思った学生達の好奇の目が集まった。

 

ここまで、長かった・・ それでも漸く辿り着け、何とか落ち着いた。 

 

椅子に座って落ち着いた私を確認した男性2人が帰りかけたので、私は深々と頭を下げて礼を言った。 すると、先程エレベータで一緒だった女性が私の怪我を心配して寄ってきた。

 

彼女は私の擦過傷を見ると、一旦奥に消え、再びティッシュペーパーの箱と大きな木箱を携えて戻って来た。 そう、応急セットである。 先ず、テーブルにティッシュペーパーを2~3枚敷き、私の左手の擦過傷にマ〇ロン消毒液を掛け、乾いた頃を見計らってキズ用テープを貼ってくれた。 慣れた手つきである。

 

こうして、私の転倒を巡る騒動は一段落した。