青森に紅葉を訪ねる―3(竪穴式住居、他)
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その大型のものが、先の櫓の写真の右下に写っていた。 縄文式では有り得ない、二階建てである。
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ガイドの説明によれば、集会所・共同作業所・冬季の共同家屋として用いられたと言う説があるらしい。
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「縄文式=竪穴式」と言うそれまでの建造物の常識を覆したのが、「高床式」として再現された建物である。
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しかしこれは居住目的ではなく、死者を一時的に安置する場所だったらしい。 事実、埋葬場所の近くに建っていた。
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遺跡内には、大型建物の柱の跡が残っている。 (大型掘立柱建物跡=おおがたほったてばしらたてものあと)
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この様な穴(柱)の跡が6個、幾何学的にならんでいた。 当時、35cmが長さの単位だったらしい。 そのため、穴の間隔は4.2mに統一されている。
この跡が発掘された当時、県はあたかも青森国体を迎えんとしていた。 ここは野球場の予定地だった。 青森県知事は、野球場の建設を推進したかったと聞いた。
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所が、この事が新聞に採り上げられ、保存運動の世論が巻き起こったらしい。 止む無く知事は、野球場の建設予定地を変更したと言う。