パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

リハビリ347―残念! でも、新しい出会いが・・

11月下旬のリハビリとなった。 妻の運転で総合病院に行き、M医師の予診を受けて、待っていると、前回同様、TA嬢が声を掛けて来た。 そう言えば、I士は「今週は休んで、自分の実家に行く」と言っていた。 2週連続で、TA嬢の施術を受ける事になる。

 

確かにTA嬢が声を掛けたが、もう顔見知りなので、彼女は私の方を向いて真っ直ぐ歩いて来たし、私も彼女が声を掛ける前に待合椅子から腰を上げていた。

 

早速空いている台を清拭し、先ずは腰掛けた。 TA嬢が

 

   「先週は転んだと聞きましたが、今週はどうでしたか?」

 

と訊いて来たので、私が大丈夫だった旨を答えると彼女は、一瞬、ニコリとして台に上がって、私にも靴を脱いで上がる様促した。 そして、施術を開始した。 すると彼女は仰向け状態の私を一瞥して、乾燥した未使用のタオルを枕の上に乗せて高さを調節してくれた。 うん、女性ならではの心遣いである。

 

さて順調に、ストレッチ等が順調に進み、歩行訓練となった。 TA嬢は、以前は両脇の下に両手を入れて私を支えたが、今回はそこまで必要ないと思ったのか、私の右横に立ち、腕を持つのみだった。

 

すると、腕を組んで歩くカップルの様なポジションとなった。 この格好なら、右腕が彼女の左胸に触れるハズであるが、そんな感触はない・・ 否、微かに当たっている? まさか、見て確かめる訳にも行かない。

 

と言うのも、今日はVネックの仕事着の下に黒の七分袖のTシャツを着用しているのだ。 まぁ、私の右腕に当たっているとしても、この感触はブラだろう。

 

   ―――――――――――――――――――――

 

と言う事で、品行方正な私への施術は、無事に終了となった。 残るは、次回・次々回の予約のみである。 そこで、ファイルの予定表を見ると、TA嬢の名がない・・ その代わり別人の名があった。 

 

聞けば、内部ローテーションがあるらしい。 と言う事は、今日がTA嬢との最後のリハビリ? 彼女の様子を見ていると、どうもそうらしい。 であれば、残念ではあるが仕方ない。 きっと、また新しい出会いもあるだろう。

 

妻と私は、TA嬢に礼を述べて、リハビリ室を後にした。 今日は、今から未だ行く所がある。 そう、年金事務所に行くのだ。

 

抄読会―14

今日は、先週に引き続き、烏賊博士との抄読会の日だ。 先週は、遠い立体駐車場に停めたので、学校の前で転倒してしまった。 その結果、多くの人の暖かさを知る事となった。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2016/12/30/090713

 

同じ過ちを冒してはならない・・と思い、烏賊博士に、

 

   「万が一、駐車場が満杯だったら、私の車の中で話そう」

 

と、提案したら却下されてしまった。 その理由は、次の通りらしい。

 

   「それでは意味がないと思います。 この会は、週一回でも○○(私)を街に出す目的があります。 それなら、ホテルの喫茶室やレストランを利用しましょう。 あるいは車で公園に行きましょうか。 ともかく、(場所として)〇〇学園にこだわることはなく、居心地の良い場所を考えましょう。」

 

何と優しい男だろう! 勉強にかこつけて、私が病気により外出する機会が減らない様に、気を遣っていてくれるのである。

 

   ――――――――――――--------

 

さて、今日のテーマは「随意運動」である。 先ずは、「随意運動」と言う言葉から説明してくれた。 

 

それによれば、この言葉は非常に不思議だ・・と言う。 と言うのは、「随意」と言う「心」を表す要素と「運動」と言う「体」を表す要素が接続し、しかも前者が後者を修飾する事により、まるで相対する概念を一つにしている。

 

この場合の「体」と言うのは「心」の効奏器官であり、具体的には筋肉である。 では、「心」とは? 大脳皮質にある一次運動野だろうか? 

 

http://media2.picsearch.com/is?tqm07FRyJ_BDuqOfVGRRArrxFiuL3WB98-2kQfNuipU&height=340

 

彼はこの図に疑問をもっているが、まぁ、それは別として、ここから何らかの信号が発生するものとしよう。 この信号が、脳内のループを形成して最終的には脳幹から脊髄を、そして前根を経由して、筋肉に達する。 この時、神経の活動を電気信号として観察しよう。 シナプスを経由する度に50~80mS遅れるので、運動野の興奮が筋肉に届くまで大体数百個のシナプスを経由している事になる。

 

では、これと逆の感覚神経は? 感覚器を端とする信号は、脊髄の後角からから入り最終的には大脳皮質の感覚野に達する。 この時、1秒位の遅れが生じる。 では、脳は、1秒遅れで感じるのか? いや現実は、ほぼ同時に感じるのである。

 

と言う事は、(時間は戻らないので)1秒前の事象を記憶している事になる。 つまり、時間軸の異なる「仮想空間」が間に存在する事になる。

 

では、その「仮想空間」とは? 実感覚と脳内感覚を繋ぐものである。 例えば・・

 

テーブルの上に立方体があるとし、もし生まれつき白内障で失明していた人が成人して、手術により晴眼となったとしよう。 彼(彼女)には、その立方体がどの様に映るのであろう。 

 

彼には、明らかにその立方体は見えている。 しかし、

 

   「そこに、何がありますか?」

 

と質問すると、彼は手を伸ばして触るのである。 これが意味する所は、何であろう? 我々が普段見ている「立方体」とは、何なのだろう? これこそが「仮想現実」であると言うのである。

 

尚、「『心』とは? 大脳皮質にある一次運動野だろうか?」と言う疑問に対して、彼は否定した。 曰く、

 

   「大脳皮質にある一次運動野は、言わばキーボードである。 では、(キーボードを操作する)『心』はどこに?」

 

と。 

 

診察201611―3

そこには、「ノウリアスト錠20mg」に関する説明が書いてあった。

 

   http://database.japic.or.jp/pdf/newPINS/00061371.pdf

 

私は「ヘェー」と思った。 先任のS医師の時は、量の変更はあったものの、新しい薬の提案は無く、こちらから「シンメトレル」(一般名:アマンタジン)の処方をお願いした位である。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2015/07/29/085053

 

私が厚いマニュアルの当該項目を見ていると、F医師は、

 

   「ただ、値段が少し高いんですよねぇ・・」

 

と言った。 妻が、それでも構わない旨を伝えると、

 

   「じゃあ、この20mgのを・・ 一週間分? 10日分?」

 

と訊いたので、私が10日分をお願いすると、

 

   「それでは、10日分出しておきますので、次回、様子を報告して下さい」

 

と言った。 続いて、プラミペキソールについて、

 

   「0錠かなぁ、1錠かなぁ・・」

 

と迷っていると、妻が

 

   「余り、急に減らさないで下さい」

 

と言ったら、1錠になった。

 

いよいよ報告事項のみとなった。

 

(4) 高血圧について 

 

これを見てF医師は、

 

   「じゃあ、アムロジピンも出しときますねぇ」

 

とのみ言った。

 

(5) 身障者手帳の申請について 

  • 前回、身障者手帳の申請について、T医師をご紹介頂いきました。 有難うございました。
  • 10月〇〇日、T医師の診察を受けた。 評価は、「2級相当、軽度化による将来再認定:不要」と。
  • 10月〇〇日、診断書を拝受し、同日、直ちに市役所にて申請した。

 

これに対して、F医師から特にコメントは無かった。

 

さて残るは、次回の予約日の決定のみとなった。 それについて、F医師はこう言った。

 

   「年内に、もう一度診せて下さい」。

 

と言う事で、次回は12月下旬となった。 私達は、礼を言って診察室を出た。

 

   ――――――――――――――――――――

 

こうして11月の診察を終え、予約票や処方箋が出来るのを待っていると、血液検査の結果まで付いて来た。 恐る恐る下に目を遣ると・・ オオ、またしても全クリである! この歳で!!!

 

これで、PSP-PAGFの疾患さえ無かったら・・ と、また思ってしまった。

 

処方薬を受けるため、妻のみが会計をして処方箋を持って、薬局に行った。

 

今日は、診察前検査があり、新しい薬も処方され、時間が掛かってしまった。 しかし、新しいタイプの薬である事から、楽しみである。 と言うのも、パーキンソン病の運動症状に効くらしいので・・

 

診察201611―2  

さて、検査から帰る時間を見計る様に、次の患者が終わると直ぐに呼ばれた。 私は車椅子を降りて、杖を使って診察室にはいった。 そして、いつものメモを渡した。

 

(1) 前回受診(2016年10月〇日)以降のイベントについて

 

  ① 10月〇〇~〇〇日、長瀞秩父家族旅行に行った。 家族のサポートを受け、特に問題なく過ごせた。

  ② 10月〇〇日、障害厚生年金3級から2級への額改定請求に対する再審査請求に対して開催される社会保険審査会(於:厚生労働省)に出席。(弁護士の車・運転で、現地では車椅子を借用)

  ③ 10月〇〇日、第1回の調停のために家庭裁判所へ。(妻の運転で、現地では車椅子を借用)

  ④ 10月〇〇日、〇〇市の〇〇モールで、ポップサーカスを堪能。(妻の運転で、現地では車椅子を借用)

  ⑤ 10月〇〇日、11月〇日、〇〇駅前の〇〇学園にて、友人と勉強会。(一人で運転し、杖を使って単独行)

  ⑥ 10月〇〇日、苗場スキー場(新潟県)のゴンドラから紅葉観賞。(義弟の運転で、妻と義妹夫婦と義母)

  ⑦ 11月〇日、滑川町の森林公園にて、友人と3時間の輪行。(一人で運転し、杖を使って単独行)

 

そして、夫々のイベントの写真を添えたら、F医師は妻と私が写った一枚( http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20161020/20161020233234.jpg )を指さして、

 

   「これは?」

 

と訊いた。 妻が、

 

   「あっ、それは・・ 長瀞のライン下りの時の(写真です)・・」

 

と答えた。 そして、次の話題に移った。

 

(2) 体調について  

 

  ① 前回より、マドパー配合錠を2錠/日から0に減量したが、(自覚として)体調に変化は無かった。

  ② 上記⑥・⑦の際、当日は疲れたが、その後の2~3日は、体調が改善した。(現在は、元にもどった。)

 

これを見て、特にコメントは無かった。

 

さて、いよいよ本日のメインイベントである。 

 

(3) 処方について  (処方量は、1日当たり)

 

  ① 処方を次の様に希望します。

薬  剤

現在

希望

プラミペキソール0.125mg

2  錠

0~1  錠

ドプス 100mg

6  錠

6  錠 

シンメトレル 50mg

4  錠 

4  錠 

  ② 希望の理由(プラミペキソールの減量)
       ・ D2アゴニストは、進行性核上性麻痺、特に純粋無動症には奏功せず。(一時的に有効な時もある。)

   ・ 平成26年12月15日よりプラミペキソールの副作用を避けるため、0.5mg×3錠/日から0.125mg×3錠へ、更に平成27年5月11日より0.125mg×2錠に減量し、最終的に0錠にする途中だった。

 

これを読み、F医師はこんな提案をした。

 

   「どうですか、新しい薬を試してみましょうか。」

 

と言いつつ、厚い辞書の様な「処方マニュアル」(?)のパーキンソン病の項を広げて見せた。 そこには・・

 

診察201611―1

さて、リハビリが終わると、今日は診察のある日だ。 そこで、外来(患者)用車椅子を借用し、脳神経内科に行った。 待っていると、見た事の無い看護士が、私の名を呼んだ。

 

訊くと、採血と検査が終わっていない・・と言う。 確かに、受診案内票を見ると、書いてある・・ あれ? 確かこの8月に血液検査と心電図検査をやったばかりじゃないか?

 

と思って予約票を見ると、診察前に検査がある旨が書いてあった。 今までは、医師が

 

   「次回は、診察前に検査があります」

 

と言ってくれたものだった。 F医師は、言葉が少ないのである。 でも、教訓としよう。

 

   ――――――――――――――――――――

 

妻と車椅子に乗ったままの私は、その受診案内票を持って、検査室に向かった。 

 

   「しかし、診察前に検査があるならあると言ってくれれば、イイのに・・」

 

と、妻は未だに不満顔である。 それは、検査結果が出るのが遅くなると帰るのが遅くなるので、その不満は分からないでもない。 しかし、予約票に書いてあるので、

 

   「まぁ、そう言う先生なんだ・・と思うしか無いんじゃない?」

 

と言うと、少し納得した様だった。 

 

   ――――――――――――――――――――

 

検査受付に受診案内票を出すと、

 

   「最初に、採血があります」

 

と、奥の方を指した。 無事に採血が終わると、

 

   「次は心電図(の測定)がありますので、入口付近でお待ちください」

 

との案内を受けた。 待っている、男性技師が声を掛けて来た。 私は一瞬、「えっ?」と思った。 今まで、男性技師だった事が無かったからである。 勿論、検査内容は技師の性別とは無関係だ。

 

こうして無事に検査が終了し、私達は元の脳神経内科に戻った。

 

リハビリ346-気持ちイイ

さて、2016年11月中旬の今日は、リハビリと診察のある日だ。 と言う事は、ルンルン・・ またしてもI士は休みで、代わりに女性理学療法士のTA嬢が担当する日だ。 イヤ、ここは悟られては拙い。 平常心、平常心!

 

ほぼ定刻、TA嬢が「○○さーん?」と声を掛け、空いている台と枕とを清拭して、リハビリが始まった。 私は台に仰向けになり、その上からTA嬢が両手で私の骨盤を抑えた。 まぁ、「骨盤を開く」ためであり、I士も同じ事をやるが、問題は親指の位置である。 つい、

 

   「あっ! そ、そこは・・」

 

と考え過ぎてしまう。

 

   ――――――――――――――――――――

 

その後、大きなボールを使って、下半身のストレッチを行った。 更に肩幅位の長さの紙筒を探して来て、両手で握って上下・左右・前後と台に腰掛けて、上半身の捻転を行った。

 

さて、TA嬢は直径15cm位のピンクの半球を持って来た。 周囲には大きな突起(イボイボ)が、ハリネズミの様に付いているが、質感は柔らかいゴムの様だ。 これを、一体どうするんだろう・・

 

と思っていると、彼女はそれを3m程離れた床に置き、それを歩いて廻って来る様、言った。 そして私が戻ると、向き直って今度は反対廻りをして戻る様指示した。 更には、平行棒内歩行を試したい・・と言い、私の後ろから付いて来た。 すると、私を後ろから支えるために手を脇の下に入れて来た。 勿論、服があるので、そのままでは入らない。 そこで、指先を左右に振って進むのであるが、それが丁度「コチョコチョ」となるのである。

 

いやぁ、悶えそうになってしまった。 それも、他の機会にも・・

 

   ――――――――――――――――――――

 

そして、いよいよお別れの時がやって来た。 別れ際に、TA嬢は本日の総括をした。

 

   「向きを変える時にすくみ易い様なので、そういう時は、一旦止まって下さいね」

 

と。 そして次回の予約をしようとすると、その週はI士が休暇らしい。 と言う事は!?! 

 

   ――――――――――――――――――――

 

女性理学療法士の感想ですか? まぁ、前回とほぼ同じですが、

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2016/11/10/070751

 

兎に角、手が暖かい。 しかし、前回から6週間、低温期のハズである。 でも、彼女の手の暖かさは、それでは説明出来ない・・ まるで「手かざし」の様である。 そのため、気持ちイイので、ついウトウトと落ちてしまいそうになってしまった。

 

彼女はそんな私の様子に気付いたのか、偶々、次の施術に移る所だったのか、

 

   「○○さーん?」

 

と呼び掛けられて、フと我に返った。

 

私の疾患とその現状について―年頭の挨拶に替えて

新年、明けましておめでとうございます! 2017年(平成29年)となりました。 松が取れるまで日本中で繰り返されるこの「明けまして・・」と言う挨拶であるが、病を得て、齢(よわい)を重ねると「ああ、何とか一年、過ごせた」と言う実感に繋がります。

 

さて、新しい年の初めに臨み、昨年までの事をまとめておこう。

 

2009年(平成21年)8月頃、私は歩行に異常がある事を自覚。 爪先歩行になりがち

          で、意識して踵から歩く。

2010年(平成22年)1月、家族の薦めもあり、市内の脳神経外科を受診。 正常にて

          終診。

2010年(平成22年)8月、歩行異常が継続し、現在も受診中の総合病院の脳神経内科

          を受診。 担当のT医師はパーキンソン病(以下、「PD」)を

          疑うも、否定し、多系統萎縮症の可能性もあるとした。

2011年(平成23年)4月、新担当のI医師はパーキンソン症候群(以下、「PS」)と

          診断。 

2011年(平成23年)12月、自動車運転免許証の更新を行った。

2012年(平成24年)5月、I医師の勧めで同院のリハビリ(テーション)を開始。

2013年(平成25年)10月、この4月から新担当になったS医師に依頼してあったセカ

         ンドオピニオンを某大学病院で実施、進行性核上性麻痺(以下、

         「PSP」)の非典型例である純粋無動症(以下、「PAGF」)と

         診断される。

2014年(平成26年)5月、S医師のPSという診断書により、障害厚生年金3級となる。

2014年(平成26年)12月、S医師のPSPとの診断書により、特定疾患医療費給付を

         受ける。

2015年(平成27年)1月、法改正により、特定疾患が指定難病となる。

2015年(平成27年)6月、退職により、協会けんぽの任意継続を選択した。(2年間)

2015年(平成27年)11月、S医師のPSPとの診断書を受け、障害年金2級への額改定

         請求をする。

2016年(平成28年)4月、新担当のF医師は、処方をPD用に変更、ADLが低下した。

2016年(平成28年)11月、障害年金2級への額改定請求が却下される。

2016年(平成28年)12月、自動車運転免許の更新を行った。

2016年(平成28年)12月、身体障害者2級が承認された。 早速、自動車税の免除を

         受けた。

2017年(平成29年)1月、こうして、無事に新年を迎える事ができた。

 

では、その間の症状の変化は?

 

2009年~2011年位までは、何とか2足歩行できた。しかし2011年1月、突進歩行により転倒して左上腕骨を骨折してしまった。 その後、杖に依存する様になった。 それでも症状は進み、2015年には杖を使うも歩行がぎこちなくなり、外出先では車椅子を借用する事となってしまった。

 

外出時に車椅子が必要となるなら、自前で用意するかレンタルしたい。 そのためには、身障者手帳が欲しい・・と言うことで、第15条医師(T医師)の診察を受けたのが、2016年の10月であった。

 

その後、F医師が見繕ってくれた抗PD薬・ノウリアストが奏功し、2足歩行すら可能になった。 丁度その頃誕生日が近づき、自動車運転免許証の更新が出来たのだった。 更にその後、2級の身障者に承認された・・と言う通知が届き、(同)手帳の交付を受けた。

 

こうして、現在に至っている。

 

このブログは闘病記であるが、病気に関連する事は勿論、余り関係のない日常の事まで綴っている。 その意味では読者のご期待に副えられるか否か不明であるが、どうかこの点も含めてご批判を賜りたい。

 

以上、新年の挨拶と致します。 では、本年もヨロピクゥ!!!