この世の終わりか? − 恐怖体験
それがいけなかったのか、眩暈(めまい)を感じた。 いつも通り柱に掴まりながら何とか立ち上がり、眩暈はするものの、トイレには行けた。 それでも立っている事すら辛く、便座の蓋が自動で開くまでの時間が長く思えた。 でも、そこまではまだ良かったのである・・
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トイレから帰り、再び布団に入った。 筋力も落ち、動作も緩慢となっているので、布団にドスンと落ちる様に潜り込み、睡眠の体勢になった。 所が・・
かつて無い程の強い眩暈に襲われたのである。
月明かりを受けているのだろうか、目を少し開けると薄明るい障子が、映画のフィルムの様に、或いは走馬灯の絵の様に顔の前を次々と流れていった。 それは、恐ろしい光景だ。 もしこの世が終わる時が来るなら、こんなシーンとなるのか・・とさえ思えた。
いや、終わろうとするのは世ではない、自分自身である!?!
思い出すだけでも、悪寒がする。 当然、方向感覚はゼロで、起き上がる事すらできない。 私は思わず、目を瞑って、ジッと嵐が過ぎるのを待った。
数分間は待ったと思う。 ソーっと目を開けてみると・・ まだ障子が頭の周囲を廻っていた。 その時「もう、目を開けるのが怖い」と・・思った。
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そのまま、しばし寝入ってしまった。 再び目を覚ましたが、あの不快な違和感は残っていた。 襖が・・ 天井が・・ 衣装箪笥が、揺れる様に動いているのである。
起床できなかった。 何とか眩暈が治まるのを、待つしかなかったのだ。 それでも時間となったので、柱に掴まりながらも立ち上がれた。 立ち上がってみると、幸いにも、何とか歩けた。 この違和感は朝食の時も残り、食欲も出なかった。
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私は今、パーキンソン病を罹患し、歩行障害に困り、悩み、苦しんでいる。 でも、それはまだ幸せだった事に気付いた。 いくら「ずり足」だ、「すくみ足」だ、「小刻み歩行」だ・・と言っても、歩けるのである! でも、あの強い眩暈の時は、布団から起き上がる事すら儘ならない。 否、四つん這いにすら、なれないのである。
それから約1時間後、出勤する頃には何とか眩暈は治まり、自動車の運転はできた。 その後、通常勤務をしている内に、あの強烈な眩暈の事は忘れていった。
「恐怖体験」とは、将にこの事を言うのであろう。
・・と、過去形となればよいのだが、あれは単発的だったのだろうか? 再発するのだろうか?
それ以来、起き上がる時などは、頭を振らない様に注意している。