パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

「お爺ちゃん」の死

 

年末最終行事も終わり、後はゆっくり・のんびりと、年末、そして年始を迎える事が出来る・・と思っていたら、義妹の一人から、年も押し詰まった某日、妻のスマートフォンにLineが入った。 曰く、

 

   「今日の午後1時頃、お爺ちゃんが他界しました。 私は死に目にあえませんでした」

 

と言うものである。 ここで、「お爺ちゃん」とはだれなのか、そして彼の病状を、以下、詳述しよう。

 

「お爺ちゃん」とは、義妹の嫁ぎ先の義父である。 そして、「お婆ちゃん」(配偶者)と共に母屋に暮らし、息子夫婦は同じ敷地内に別棟を建てて暮らしている。 この夏頃から

   

   「だるい。 疲れたー、疲れたー・・」

 

と言っていたそうである。 そして遂に息子(私から見ると、義弟)に

 

   「病院に連れて行ってくれ」

 

と言ったらしい。 そこで、息子が近くの〇〇総合病院に連れて行った。 医師の診断は、

 

   「結核かも知れない」

 

と言う事で、即、隔離・入院となった。 その後、暫くして検査結果が出た。 それによると「非結核性抗酸菌症」だという。 これはに、困った。 と言うのは、(結核以外の)抗酸菌に効く抗生物質は3種類位しか無く、その内どれがどれ位効くのか、或いはどれとどれの組み合わせやそれらのどんな割合が効くのか、試行錯誤らしい。

 

困った事は、他にもあった。 膠原病もあったらしい。 医者嫌いだったそうであるが、本人が直接病院に連れて行ってくれ・・と言うのだから余程だったのだろう・・ 近所のかかりつけ医(開業医)では、分からなかったのであろうか?

 

まぁ、なかなか有効な抗生物質が見つからない内に本人はドンドンやせ細り、途中「せん妄」まで出て、大変だったらしい。 経静脈栄養も体力の向上には役に立たず、最後は自分の身内も分からず、骨と皮だけになり、

 

   「いつ死んでも、おかしくない」

 

と医師に言われる様になってしまった。 そして、年末も近い某日、遂に「その時」を迎えた。 享年87歳と言う。

 

早速、葬儀社を決め、ご遺体を自宅に運んだが、斎場が混んでいて、通夜・告別式まで、8日間も自宅に置いて置かなければならない・・と言う事になった。 斎場に預ける手もあった様だが、お別れまでは・・と思ったのだろう。

 

私が行くと、花で飾られたミニ祭壇の奥に、綺麗に納棺された骨と皮だけの本人がいた。 その手前の線香台に、線香を1本、上げさせてもらった。 その脇には、箸の刺さったご飯や味噌汁、団子等が備えてあった。 聞けば、義妹が毎日、新しい物を備えていた・・と言う。

 

え? 普通はご本人の配偶者(お婆ちゃん)がするのでは??? 実は、こちらも大変だったらしい。