パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

リハビリ211―O士の最終リハビリ

2014年8月下旬、リハビリの日がやってきた。 担当のO士は8月末でこの総合病院を退職するので、彼による施術は今日が最後となる。

 

まぁ、最後だからといって、特別な事を特別な方法でやるわけでもない。 いつもの様に、彼なりのシークエンスで淡々とこなしている。 いつもなら、壁の時計を見ても、

 

   (ああ、あと○分か・・)

 

位にしか残り時間が気にならなかった私も、刻々と過ぎ行く1分1分が、愛おしく感じられた。 それを知ってか知らずか、或いは彼も同じ気持ちなのか、いつもの彼より寡黙である。

 

残り5分で斜面台によるふくらはぎのストレッチを行った。 そしていよいよ、お別れの時が来た。 妻と私はO士にお礼を述べ、用意した封筒を渡した。

 

   「あのぉ・・ これ、餞別です」

 

と添えたが、彼は特段驚く素振りもみせず。 

 

   「これは?」

 

と訊いた。 中身によっては、受け取れない(=現金)だろうから・・ 私が、

 

   「お礼の手紙です」

 

と答えると、

 

   「なーんだ、20万(円)位、入っているかと思った」

 

と、漸く冗談が出た。

 

そして、語学留学後の、彼の新しい職場での仕事について訊いた。 既に赴任先や、職種なども決まっているらしい。 そして、別れ際に、彼の今後の活躍を祈る旨を伝えたら、彼から、

 

   「○○さん? 絶対に転ばないで下さいね! 転んで怪我でもすると、(その後のQOL/ADLが低下し)大変ですからね!!!」

 

と激励してくれた。 こうして立ち話をしていると、既に10分以上が経過してしまった。 名残は尽きないが、既に次の患者も待っている様だ。 私達が出口に向かって歩き始めると、

 

   「○○さーん、お待たせしました」

 

と、次の患者を呼ぶ、O士の声が背中から聞こえて来た。 私がゆっくり歩いて出口に立ち、妻と一度振り返ると、次の患者の案内をしているO士は横目で見て、軽く右手を挙げた。

 

   (じゃぁ、また・・)

 

と言っている様だが、再び彼に会う事は、あるのだろうか?

 

(蛇足:餞別の「餞」は、「はなむけ」の意であり、「銭」(お金)を意味するものではない。 私からの餞別の封筒には、お礼の言葉に添えて、このブログのURLを記した。 きっと日本から持参したタブレットで、英語漬けの日常の合間に、読んでくれているだろう。)