別れ
こうして2011年3月中旬の診察も終わり、処方も済んだ。 残るは、次回の診療予約だけだ。 この4月に担当の編成替えがあるので、まだ新任医師(女性)の当番曜日は不明なのであろう。 T医師は予約を入れるべきか、それとも入れずに予約を取り直した方がよいのか、悩んだ。
看護師が予約しておく事を勧めたこともあり、次回の診察は8週間後の5月上旬に決まった。 そして予約票がプリントアウトされた。
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思えば2010年8月末の初診から7ヶ月、大変お世話になった。 私もT医師のキャラが分かって来た様に、T医師も私のキャラが分かってきた頃であった。 そして、初めて受診する脳神経内科ではあったが、T医師の診察と治療により、日常生活に大きな支障のないレベルまで恢復できた頃でもあった。
確かに病名の宣告の機会が「最終回」(の診察日)とはなってしまったし、しかも間接的な表現でもあった。 しかしそれは、患者に対する自らの言葉の重みを、誰よりもT医師自身が熟知しているからであろう。 確かにパーキンソン病か多系統萎縮症か、悩んだ時期もあったに違いない。
でもその時、T医師は迷っている理由をキチンと述べてくれた。 だから私は検査もし、何度受診しても自分の病名が分からない事に不安もなければ、ましてや不信もなかった。
ただ、妻にとっては私の病名がなかなか分からない事に、多少の不満があった時期もあった様だ。 勿論、今は違うが・・
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妻と私は椅子から立ち上がり、
「大変お世話になりました」 (妻、私)
と、揃って深々と頭を下げた。 T医師は、
「何年後かに、また会うかも知れませんよ!」 (T医師)
と笑顔を返してくれた。 それに対し、妻は
「どうか、先生もご活躍を・・」 (妻)
と言いながら、再度一礼して診察室の引き戸を、そーっと閉めたのであった。
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いつかのブログに書いた事ではあるが、
『病を得た事は不運である。 しかし、T医師と巡り会えた事は幸運である。』
と、今でも思っている。
これでT医師とは(当座?)お別れとなってしまう。 でも、また新しい出会いもあるだろう。 その時、T医師が新任の医師に
『あの患者のツッコミは、厳しいゾォ・・・』
と引き継いでいない事を願おう。