パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

年末最終行事―歯医者とリコール

 

2018年も押し詰まって来た。 今月中(=今年中)に済ませなければならない事は、歯科医に行く事とプリウスのリコールによる車の修理である。 実は、後者の予定が11時と先に決まったので、後から前者を10時に決めたのであった。 と言うのも、ディーラーが(リコールの修理で?)忙しく、日中の時間が取れなかったのである。

 

つまり、リコールの修理が「40分程掛かる」と言う案内が手紙にあり、営業は「1時間見て下さい」と言い、歯医者が自宅とディーラーとのほぼ中点にあって、歯医者自宅へは自宅から正味15分(Door to doorで20分程)掛かるからである。 

 

で、早速歯科医に行った。 5分前に着く様に出掛けたが、出発間際に色々あって、到着がギリギリとなってしまった。

 

しかし、A歯科衛生士(女性、以降「A士」と称する)による実際の「歯のお掃除」は、10分遅れで始まった。 と言うのも、直前の患者に時間が掛かっていたからである。

 

こうして、思いも出すだけでも身の毛がよだつ超音波スケーラーによる歯石の除去が始まった。 まぁ、それは10分程で終わり。詰め物の補修に取り掛かった。 と言うのも。診療の直前のA士による問診時に、

 

   「前回詰めてもらった所が、冷たい水で沁みるんです」

 

と言うと、

 

   「暖かいお湯なら沁みないんでしょ! だったら、お湯を使って?」

 

と言った。 まぁ、当たり前すぎて、返答に窮した。

 

   ――――――――――――

 

さて、沁みる部分へは、詰め物を増す様だ。 と言うのも、A士が材料・薄板(カセロール?)・練り用のコテ(先に小さなヘラが付いたモノ)等をどこかから持ってきたから・・

 

先ず、彼女は、私の(詰め物のある)歯の表面の「目荒らし」を行った。 これは、現在の(補修前の)歯にそのまま詰め物を盛っても、その歯の表面の唾液や食物カスなどが剥離面を形成するので、新しい詰め物が上手く接着出来ないからである。 そのため、タワシの様な回転ブラシを歯の表面―――正しくは、旧詰め物の表面―――に当てた。

 

続いて、新詰め物の準備である。 彼女は、10cm角程の白い板の上に、チューブから灰色のペーストを1cc程出した。 そこに、先程のコテで黄色く粘度の高い液体を混ぜて、練り込んだ。 きっと、硬化剤と重合開始剤と思われる。 彼女はそれを私の歯に盛り、指で整形した。

 

最後に、彼女は、

 

「1時間は、食事をしないでくださいね」

 

と言い、治療を終えた。 お金を払い、満杯のエピオスウォーターと健康保険証を受け取り、急いで車に乗ると、10時40分だった。 

 

   「(スワ、遅刻かぁ・・)」

 

と思ったが、5分前に着いた。 着くと、事務員風の女性が出て来て、室内のテーブルまで案内し、飲み物のオーダーを訊いてくれた。 すると、営業の担当が出て来て、来訪のお礼を言い、鍵を預かって、

 

   「それでは、お車をお預かりして、早速修理に入らせて頂きます。 1時間程したら、お車を洗車してお返し致します」

 

と言って、消えた。 すると、約40分後に、作業者が営業と共に現れ、作業明細書を私に渡した。 そこには、「パワーマネージメントECU書替えR(プリウス)」とのみ、書かれていた。

 

   ―――――――――――――

 

こうして、年末行事もチャンと年内に無事に終わったので、妻とランチをして帰宅した。

 

リハビリ453―今年(2018年)最後のリハビリ

 

2018年12月下旬の某日は、リハビリの予約日だ。 そこで、妻の運転で総合病院に出掛けた。 いつも通りM医師の予診を受け、折り畳み椅子で待っていると、5分遅れで、担当のS士が声を掛けて来た。 そう、今日は理学療法が先だった。

 

私は、椅子から立ち上がろうとしたが、偶々、足が前に出ていて上手く立てなかった。 すると、S士が私の左腕を押さえてくれた。

 

   「今日は、調子悪いのかなぁ?」

 

と言いながら、リハビリテーション室に入った。 早速、彼は、

 

   「遅くなって、すみません」

 

と詫びを入れた。 その後、彼は台を清拭した。 いよいよ、施術だ。

 

   ――――――――――――――

 

彼は仰向けの私の右側の足元に位置し、私の右脚を持ち上げ、自分の左脚で私の左脚を押さえた。 そう、ハムストリングスのストレッチである。 彼はそれを、

 

   「太腿の裏側を、伸ばしますねぇ・・」

 

と言いながら、私の右膝を(曲がらない様に)抑えた。 そして彼が右脚を持ち上げると、80度位まで開いた所から痛みを感じる様になって来た。 

 

すると、私の左脚を押さえている彼の脚に力が入り、痛くなった。 私が、

 

   「あのぉ、左脚が痛いんですけど・・」

 

と言うと、彼は直ぐに、自身の圧力を引いた。 そして、90度位まで伸ばすと、痛みは増していった。 彼は、私に

 

   「ごめんなさいね・・」

 

と言いながら、角度を増して行った。 しかし、私の限界を知っている彼は、私の表情を見て止めた。 そして、脚の角度を70度位まで戻した。 相変わらず私の膝は、彼の左手により、伸びたままだ。 

 

その状態で、彼は私の爪先を、向う脛の方向に近づけた。 すると・・ 脹脛の筋肉に痛みが走った。 私は彼に、

 

   「限界です」

 

と言うと、彼は力を抜いて、右脚に対するストレッチは終了した。 続いて、左脚に対しても行ったが、右脚に対する程ではなかった。

 

   ―――――――――――――――

 

その後、横を向いたり、タオルを敷いてうつ伏せになり、足を膝の方に曲げるストレッチ等を行った。 施術途中、彼が

 

   「今日が今年最後のリハビリですかぁ・・」

 

と独り言の様に言ったので、わたしが、

 

   「良い年を、お迎え下さい」

 

と言った。 すると、彼は、私のその様な反応が意外だった様で、

 

   「アッ、良い年を・・」

 

と返した。

 

   ――――――――――――

 

こうして本年最後の理学療法が終了し、続いて作業療法になった。 S士の指示で、台で仰向けになって待っていると、M士がやって来て、デスクに移動しましょう・・と言った。 私がデスク前の椅子に腰掛けると、彼は棚から2つの深い皿を持って来た。 その片方には、ビー玉が30個程入っていた。 彼は、2つの皿をデスク上に置き、右手をビー玉のある皿に突っ込み、ビー玉を3つ一度に取り出した。 即ち、その3つを人差し指と中指・中指と薬指・薬指と小指で、同時に挟んで、もう一つの皿に移して行くのである。 

 

   「両方の手で行って見て下さいね」

 

と言いながら、何処かに消えた。 まぁ、3つ一度に挟むのは難しいが、右手が何とか終わった。 続いて左手で同じ事を行ったが、薬指と小指で挟むのが難しく、結構、時間が掛かってしまった。

 

私が、左手で半分位終えた所で、M士が戻って来た。 彼は、デスクの対面に座り、私が運び終わるのを待っていた。 私が、何とか終えると、彼はそれらを元の棚に戻し、A4の紙数枚と鉛筆を机の上に並べた。 そう、書字練習用の紙を取りに行っている間の時間も有効利用しようと言うのだ!

 

   ―――――――――――――

 

さて、鉛筆での書字であるが、いろは歌雨ニモマケズの途中(イツモシズカニ~カンジョウニイレズニ)である。

 

先ずは、いろは歌(いろはにほへと・・)からである。 いつもの様にお手本を1行なぞってから、隣の空白行に書いて行った。 すると、空白行で私の悪癖が出てまたしても早くなり、チャンと書くためには彼のキューを必要とした。 具体的には、彼がデスクの天面を指でタップしてから、次の1画を書くのである。

 

それを見て、彼がまたしても

 

   「イイですねぇ!」

 

と褒めるのであった。 しかし、雨ニモマケズの手本の方には漢字が混じり入っているが、漢字が良い形に書けないのである。

 

   ―――――――――――――

 

そんな事をやって、無事に今年最後の作業療法も終った。 しかし、M士は次の患者が待っているらしく急いでいた様子で、宿題を提出し忘れたのみならず、年末の挨拶すら忘れてしまった。

 

ハローワークと年金事務所 

 

2018年12月も、つまり今年も残すところ1週間とチョットになってしまった。 残る行事も少なくなって来た。 そんな某日、ハローワークに行った。 今回は、前回から3週間後の「出勤」である。 きっと、4週間後だと、年末行事と重なってしまうのだろう。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2018/12/13/080029 (この末尾)

 

「出勤時刻」は15時半。 そこで我々(=妻と私)は、14時に自宅を出発した。 すると、ほぼ1時間で到着した。 つまり、「出勤時刻」の30分前である。

 

   ――――――――――――

 

2階にエレベーターで行き、⑥番窓口を目指した。 すると、結構、人でごった返していた。 その理由は、今日が4週間目となる人と一緒だからである。 そこで、一旦トイレに行ってから、⑥晩窓口の前の方の椅子を確保した。 と言うのは、前の時間帯のグループの求職者が書類を受け取り帰るので、ぽつぽつと空席が生じるからである。

 

やがて、15時半のグループの受付が、15時20分に始まった。 見ると、妻が3番目に並んでいる! うん、これなら早そうだ。 事実、15分程で「失業認定」が終わった。

 

続いて、1階の③番窓口での、求職相談である。 妻が、所定のスリットからカードを入れると、職員からカードケースに入った山吹色のA4の紙を渡された。 内心、

 

   「(余り長くないといいなぁ・・)」

 

と思いながら待っていると、

 

   「黄色い紙をお持ちの方? どぅぞー・・」

 

と呼ぶ声がした。 見ると、60歳前後と思われる男性であった。 彼の正面の椅子に座って、書類を交換した。 すると、彼は迷わず、今日の日付と「ハローワーク〇〇 紹介・相談」の朱印を押して、「相談」文字を丸で囲んだ。 そして、その「雇用保険受給資格者証」を返してくれたのである。 つまり、今回も実質0分だった。 尚、失業手当の振込額は、これまでの3/4である。

 

 

こうして、失業給付関係は全20分程で終了したが、これから年金事務所に行く予定だ。 用件は、年金振込口座の変更である。 勿論、インターネット経由で可能だが、一度、記入項目の説明を訊いてからの方が、確実だと思ったからである。

 

   ――――――――――――

 

年金事務所は、ハローワークからの帰宅路にある。 しかし、妻はナビを入れると言う・・ その理由は、見過ごしたら戻らなければならないから・・と言う事らしい。 ま、ここは、運転者の言う通りにするのが、一番だ。

 

こうして、車で15分程で、無事に年金事務所に到着した。 車を身障者用駐車場に停め、受付に行くと、女性が

 

「本日は、どの様なご用事でしょうか?」

 

訊いてくれるので、妻が、

 

「年金の振込先(の銀行口座)を変更したいんです」

 

と答えた。 更に、女性が

 

「どちらの銀行に・・ですか?」

 

と訊くので、妻が通帳を出して、銀行名を答えた。 すると、彼女は、

 

「今、1時間待ちですけど、どうします? 郵送でも出来ますよ」

 

と教えてくれた。 私は、チョット考え、郵送にする旨を答えた。 と言うのも、既に4時を過ぎているので、冬至も近く、1時間も経つともう周囲は真っ暗になってしまうからだ。 

 

すると、彼女は用紙と書き方マニュアル(各A4で1頁)を書棚から出してきて、書き込む上での注意点を項目毎に説明しながら、申請書が記入するべき所を鉛筆で囲んだ。 更に、事務センター行きの「料金受取人払い」の封筒までくれた。 そればかりか、

 

「通帳をお持ちの様ですから、コピーしましょうか?」

 

と言ってくれたのである。 尚、口座変更には、通帳のコピーを添付する必要があるのだ。 また、更には

 

   「手続きに1ヶ月程かかるので・・ 年末年始の休みもありますから・・ 今年中に、出す(=投函する)と、次回(の2月15日の振り込み)に間に合いますよ」

 

と教えてくれたのだった。

 

何と言う親切だろう!?! ここまでやってくれた事に謝意を述べ、暖かい気持ちで帰宅した。

 

 

リハビリ452―女性の作業療法士

 

さて、理学療法が終わると、次は作業療法だ。 理学療法を終えたS士は、私に台に寝せて、去った。 私が台に仰向けになって待っていると、

 

   「〇〇さーん」

 

と言う、女性の声がしたので、私が声のする方を見ると、マスクをした女性が近づいて来た。 女性は(マスクを着けていたが)、笑顔で

 

   「Tと申します。 本日の作業療法を担当させていただきます」

 

と自己紹介をした。 私は、名札をしていなくとも、M士グループのT(Y)士だと直感した。 (名札には、フルネームが書いてある。)

 

   ―――――――――――――

 

彼女は、私に

 

   「書字の練習をしているんですって?」

 

と訊いた。 まぁ、その通りなので、

 

   「ハイ・・」

 

と力なく答えた。 それは、M士の様なマッサージが無いからでは無い、書字は自宅でも、散々やって来たからである。 

 

それでも、彼女は、私をテーブルに案内した。 そうしたら、今までのなぞり書きでなく、枡の無い紙の裏への、名前描きをやって見る様に言われた。 いくら裏でも、表の枠は透けて見えるので、それに沿って書いた。 まぁ、下手である。 その様子を見ていたT嬢は、

 

   「もっとユックリ、書いて見て下さい?」

 

と促した。 そこでユックリと書くと、最初のものより明らかに、上手く書けている! すると彼女は、もう少し書く様、指示した。 まぁ、一旦コツを掴むと、後は容易だ。 事実、

 

  「最初に書いたのより、上手くなりましたねっ!」

 

と評価してくれた。 

 

   ―――――――――――――

 

その後、「ペグ中」と「ペグ大」を使った訓練を行った。 内容は、以前と異なり、ペグを戻すのであるが、戻す時、なるべく穴の中央に戻す・・と言うものだ。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2018/09/26/084736 (「ペグ中」を用いた手の訓錬)

 

私が指示された様に戻し始めた時、一回だけ彼女に

 

   「チャンと(穴の)真ん中に入れてぇ・・」

 

と言われたのみだった。 確かにその時は、ペグが穴の周囲に当たっていた。

 

   ―――――――――――――

 

更に彼女は棚からゲームコインを出して来て、右手の中に、十数枚を円柱状に持ち、一番上のコインを丸めた人差し指の上から親指で繰り出して見せた。 これは、コイン3枚でM士の時にやった。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2018/12/09/070600 (この文末)

 

しかし、残りの枚数が少なくなって来ると、送り出しが難しくなる。 特に最後の一枚は、コイン同士の滑りがないので、難しくなる。 私は右手を上下させて、手の平の奥からコインを出して来たが、その事について、彼女のコメントは無かった。

 

   ――――――――――――

 

いよいよ、最後の訓練となった。 彼女は、私に訊いた。

 

   「パソコンをやられるそうですねぇ・・ いま、どんな事で困っていますか?」

 

と。 これに対して、私が

 

「キーボードを打つ時の遅さと、ブラインドタッチ時の間違いです」 

 

と答えると、彼女はコインを缶から一枚出して、テーブルの上で人差し指で抑えた。 そして私に真似る様に言った。 それは、コインを人差し指で前後に数回、動かした。 まぁ、これは簡単だ。

 

続いて、彼女はコインを中指に移して、同じ事を行った。 更に、薬指・小指とコインを移動しながら、同様にコインを前後に動かしていった。 指が後ろになる程、単独で指を動かすのが難しくなる。 これは例えば、コインのある小指のみを動かそうとしても、薬指も同時に動いてしまう・・と言う意味だ。

 

まぁ、この訓練は、それ程難しい訳でも無いが、問題は、手である。

 

彼女の手には、何の瑕疵も無い白く細長い指が付いていた。 一方私の手の甲は、色も彼女のそれと比較して赤く皺だらけで、斑すら散見され、そこから出ている5本の指はその太さが夫々、彼女の指の倍位あり、関節の辺りは皺が渦を巻いている・・ まぁ、良く言えば、「一家を支えた働く手」ではあるが、これが、同じ人間の手とは、思えない!?!

 

そんな劣等感を見る者に抱かせる程、美しい手なのである。

 

   ―――――――――――――

 

え? 彼女に対する描写が足りない・・ですって!?! では、チョットだけ。(汗) 

 

先ず身長は160cm前後、スラリとしたやせ型で、顔は丸型で髪を後ろで一本に纏めていた。 

 

次は、顔貌である。 まぁ、「上の中~下」とは思えたが、ずーうっとマスクをしていたので、安全を見て「中の上」としておこう。 

 

最後に印象であるが、兎に角、終始笑顔でカワイイのである。 将に「女の笑顔は、七難隠す」である!?!

 

 

リハビリ451―新年の挨拶に替えて

 

小生の拙日記をご高覧頂いている皆様、「新年、明けましておめでとうございます。」 

 

松が取れるまで日本中で、何百万回、否、何千万回と繰り返されるであろうこの挨拶は、小生にとっては特別な意味があるのです。 即ち、これが言える・・と言う事は、小生も1年、また生き延びる事が出来た・・と言う事なのです! 

 

さて昨年を振り返って見ますと、

 

症状は、確実に進みました。 特に、歩行能力が一層低下し、外出時に車椅子を借用する事が多くなったり、12月に2度も転倒し、出血してしまったりしました。

 

また、大きな出来事として、主治医の変更がありました。 これまでの総合病院のF医師から、〇〇中央クリニックのf医師に替わったのでした。 これにより、処方の見直しが行われました。

 

今年の目標は、何と言っても「歩行能力の維持」です。 それには、今の(週一回の)リハビリを継続する必要があるのは勿論の事、日常生活の中でも折角の(歩く)機会を活かしたい・・と考えています。

 

どうか皆様におかれては、努々(ゆめゆめ)病に伏せる事のない様にと無病息災を願い、そして祈るばかりです。 ましてや、原因も治療法も不明な私の様な難病に・・です。

 

   ――――――――――――

 

さて今日は、12月中旬の2回目(12月に入って3回目)のリハビリの予約日だ。 いつもの手順で、M医師の予診を受ける際、どうせ唇の傷口は見えるので、

 

   「実は、2日前の夜中、転倒して切ってしまいました。」

 

と傷を指で指しながら自主申告をしたら、M医師はチラッとみて、キーボードから何かを打ち込んでいた。 その後、待っていると、理学療法担当のS士が声を掛けて来た。

 

   「今日は、Mが休みなので、代わりの者が(作業療法を)担当させて頂きます」

 

と。アナウンスした。 おや? 一体、だれだろう・・ M士のグループだと、以前担当して貰ったH士(翼クン)か、まだ担当して貰った事のないT(Y)士だ。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2018/11/27/100121 (H士による作業療法

 

    ―――――――――――――――

 

さて、S士による理学療法が始まった。 彼は、空いている台を探し、台を清拭後、施術前に訊いた。

 

   「どうやって、転んだのですか?」

 

S士は、施術の開始前に、M医師の予診結果をモニターで見ているので、私が転んだ事は知っているのだ。 そこで、私は転んだ時の様子を出来るだけ忠実に、再現して見せた。

 

   ―――――――――――――――

 

さて、本日の施術の内容を紹介しよう。

 

最初は、私の歩容の観察である。 続いて台に戻り、下半身のストレッチを行う。 例えば、今回は以前やった、ハムストリングスの伸長だった。 そう、あの痛いヤツである。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2018/11/23/083026

 

しかし、私の欲目だろうか? 前回80度マックスだったが、今回は、90度位まで行っている様に見えた!?! もしそれが「我慢」の成果なら、我慢のし甲斐があると言うものである。

 

続いて、S士は私に横を向く様指示し、私は台の上に横に寝そべった。 彼は私の尻の辺りに位置し、上になった足首を持って引く。 すると、脚が自分の後ろ側に持って行かれる。 つまり、身体全体としては上半分のみ反る格好になる。 これを、左右で繰り返した。

 

更に、彼は

 

   「チョット待っていて下さい」

 

と言って、タオルを持って戻って来た。 これは、うつ伏せのためである。 事実彼は、私に

 

   「じゃあ、うつ伏せになって下さい」

 

と指示し私の顔の下に、そのタオルを敷いた。 その後、

 

   「右手を後頭部に持って来られますか?」

 

と訊き、私がそれをやると、

 

   「そうそう、そのまま右腕を上げて下さい?」

 

と。 すると、彼はその上下を3~4回させた。 今度は、

 

   「上げた時に、右側の肩甲骨を寄せられますか?」

 

と訊いた。 私が、目一杯ながらも寄せると、

 

   「そうそう! 一旦、下ろして下さい。 じゃあ、今のを繰り返してぇ・・ い~ち、に~ぃ、さ~ん、し~ぃ、ご~ぉ」

 

と掛け声をし、

 

   「ハイ、ちょっと休憩」

 

と言いながら、直ぐまた

 

   「ハイ、もう一度。 い~ち、に~ぃ ・・」

 

と声を掛けた。 私は、

 

   「(ふぅ・・ 結構辛い!)」

 

と思いながらも、掛け声に従って、(5回を)3クール程こなした。 今回は右側のみだった。

 

 

鼻血???  否・・

 

先日、後頭部を柱にぶつけて、出血したばかりだが、実は、またやってしまった。 今度は、「顔面制動」である。

 

それは、12月中旬某日の夜の事であった。 ふと、夜中に覚醒した。 その時

 

   「(そうだ、トイレに行っておこう)」

 

と思った。 今は尿意はそれ程強くは無いが、次に覚醒した時の事を考えて・・の事である。 そこで、ベッドから立ち上がったら、その尿意は、急に強烈になった。

 

   ――――――――――――

 

そう言えば、総合病院のT医師(女性)が言っていた。

 

   「男の人って、立ち上がると、尿意を強く感じるものなの」

 

と。 その時は、

 

   「(ヘェー・・ そうなんだ)」

 

と思っただけだった。 今回は、そのT医師の言葉を実感する、否、それ以上に強烈な尿意であった。

 

   ―――――――――――――

 

私がデスクでパソコンを打っていると、

 

   「もう直ぐ、ご飯よー・・」

 

と妻が言う。 私は立ち上がって、トイレに行ってから席に着くこともある。 すると、妻は

 

   「どうして、ご飯の直前にトイレに行くの? もう直ぐご飯なんだから、予めトイレに行って、(自席に)座って待っててよ!!!」

 

と怒るのである。 そこで、(デスクの前に座っている時は尿意を感じないが、席に着こうとして)

 

「立ち上がると、急にトイレに行きたくなるのは、男性ならではだ・・とT先生が言ってたよ」

 

と言っても、

 

   「そんな事は、無い」

 

と否定するので、私が

 

   「分かった、それなら食後に(トイレに)行って来るよ」

 

と言うと、

 

   「漏らされたら大変だから、今直ぐ行って来て!!!」

 

と言うのである!?!

 

   ――――――――――――

 

話しは戻って、強烈な尿意に襲われながらも、右手で壁伝いにトイレまで何とか辿り着いた。 そこで、右手で電灯のスイッチに手を伸ばして点けたら、またしても、フとバランスを失ってしまった。

 

咄嗟に右手を伸ばして、床に着いた。 しかし、半分寝ぼけているので、上手く支えられないまま、上半身が右手を越えてしまった。 もうこうなったら、被害を最小限にするしかない。 そこで、咄嗟に右を向き、左側の頬で、「顔面制動」をしてしまった。

 

   「(いててぇ・・)」

 

と思いながらも、上半身を起こすと・・ 仄暗い常夜灯下、床に黒い点が、ポツリと付いた。 

 

   「(ん? こ、これは、血だ・・ 鼻血???)」

 

と思い、急いでトイレのロールペーパーで抑えた。 鼻血なら、2~3分、圧迫止血していれば止まる・・と思い、そのまま、静かに待った。 やがて、出血も内輪になり、左鼻の痛みも和らいできたので、床の血を拭き取って、オシッコを済ませて、流した。 すると、一部分が鮮紅色に染まった真っ白なロールペーパーが、排水口に吸い込まれて行った。

 

私は、予備のロールペーパーを取り、出血部位を押さえて就寝した。

 

  ――――――――――――

 

翌朝、起床したら、出血は収まっていた。 そこで、洗面台の鏡を見て、驚いた。 というのも、出血部位は鼻ではなく、上唇だったのだ。 道理で、圧迫部位より下から流れて来るハズだ。 それに、鏡に映った左頬は、良く見れば、確かに右頬より僅かに腫れているのである。

 

血餅を取り、傷口の周囲を水洗すると、左上唇から左鼻翼の下の方まで、長さ1.5cm程の傷があった。 傷口周辺を洗うと、ティッシュペーパーに少し血が滲んだ。 が、直ぐに止血した。

 

ではなぜ、上唇か? それはその下の犬歯が「八重歯」になっているからである。

 

まぁ、ここはゲンタマイシン軟膏に頑張って貰うしかない・・ 軟膏を少し余計目に塗ったら、べたべたした。

 

こうして、傷は徐々に快方に向かった。 もう、3日目には傷の存在を気にしないで、普通に洗顔を行えるまでになった。

 

兎に角、大事に至らないで良かった・・

 

 まぁ、一年の最後に、ネガティブな日記になってしまったが、来年は「良い年」にしたい。 

 

文末になってしまったが、どうか皆様も良い年を迎えられたい。

 

プリウスのリコール

実は、11月上旬に、プリウスを含むトヨタ車のリコールの案内が封書で届いていた。 曰く、

 

   「ハイブリッドシステムにおいて、異常判定時の制御プログラムが不適切なため、急加速時等の高負荷走行中に昇圧回路の素子が損傷した場合、フェールセーフに移行すべきところ、移行できないことがあります。そのため、警告灯が点灯し、ハイブリッドシステムが停止して、走行不能となるおそれがあります。」

 

と言う事らしい。 我が家では、「高負荷運転」なんてする人はいないが、まぁ、折角なので受け様と思う。 しかし、この問題では一度、昇圧素子の損傷防止のリコールを26年2月に届けており、今回のリコールは、万が一上記内容の事象が起きた場合でも、より確実にフェールセーフ走行に移行させる様、プログラムを書き換える・・と言う。

 

オイオイ、昇圧素子の損傷のリコールなんて、聞いてないゾー!!! 万が一、始めの問題とその後の今回の問題の間の4年間に、再度(昇圧素子の損傷による)事故が発生したら、どう責任を取るんだ???

 

しかも、「本来であれば、速やかに修理させていただくところでございますが、修理の準備に時間を要しております。 今しばらくご猶予をいただきたく・・」ですって!

 

そして待つ事、6週間、漸く

 

   「このたび、修理作業をお受けいただける運びとなりましたので取り急ぎお知らせ申し上げます。」

 

だってさ!?! しかも、

 

   「本ご案内直後からしばらくの間は、修理のご要請が集中し、お客様の希望される日時に修理ができないことも予想されます。はなはだ勝手なお願いではございますが、あらかじめ最寄りの取扱い販売店にご希望日時等についてご相談を賜りますようよろしくお願い申しあげます。」

 

ですって‥ ま、トヨタハイブリッド車の台数から推したら物凄い数になるであろうから、大変なのは理解でできる。 しかし、一つの事象に対して2度もリコールを行い、しかも、中には最初リコールを知らない人もいる様だ。

 

なぜ、2回目のリコールが遅れたのか? これは、本来トヨタ自動車の内部で検討すべき課題ではあるが、私なりに推定して見よう。

 

  • ① 素子の改良が出来た時点で、ソフトウェアの開発が間に合わなかったか、開発されたソフトウェアの検証が間に合わなかった。
  • ② 素子の改良の検証は比較的簡単だが、ソフトウェアの検証は実際に旧ソフトウェアでエラーを起こす条件で新ソフトウェアなら起こさない事を確認しなければならないが、その事象が(例えば、昇圧素子の破損の様に)偶発的に発生するのであれば、検証が困難である事は想像に難くない。
  • ③ 新しいソフトウェアを導入したら、従来のソフトウェアとの整合性が失われてしまった。

 

まぁ、③は良くあることである。 そしてこの時、私は滞米時にPD-11(ミンコン)を使っていたラボの壁に次の様な張り紙を見たのを思い出した。

 

   「Software is a gold-plated turd.」