パーキンソン病/症候群の闘病記です。 同病の方々のご参考になれば幸いです。

idやURLのPSPとはパーキンソン症候群の中の進行性核上性麻痺、PAGFとはPSPの非典型例である純粋無動症の事です。

リハビリ411―「じゃぁ、やってみましょう」

 

さて今日は、2018年2月の上旬、今月初めてのリハビリの予約日だ。 そこで、妻の運転で総合病院に出掛けた。 しかし、妻からの

 

   「偶には、ランチでもしよう?」

 

と言う提案を受けて、近所の「がって〇寿司」と言う回転寿司屋に行く事とした。 

 

   「なーんだ、回転寿司かぁ・・」

 

と思われた方もいらっしゃるとは思うが、全てタッチパネルから注文が可能なので、用時調製(=注文生産)となり、

 

   「レーンから皿を取ったら、干からびていた!」

 

なーんて事はない。 それに何より大切なのは食事時間をある程度自分達でコントロール出来る事だ。 と言うのは、急いでいる時は、レーンから取れば良い。 そんなに急いで食べた事は無いが、正味10分あれば可能だろう。 それに平日は、あら汁が無料であるだけでなく、お代わり自由なのである。

 

さて、時間に余裕を持って「がって〇寿司」に行き、店員の案内でカウンターに座り、ランチメニュー中の「10貫握り」を2つ、タッチパネルから注文した。 ガリを摘まんでいると、3~4分程で注文した品が届いた。 そして、寿司を摘まみながら、あら汁を2杯飲んだら、結構お腹が膨れた。 

 

1時間の食事時間を見込んだが、40分で食べ終わったので、早目に病院に行く事とした。

 

   ―――――――――――――――――――

 

途中、自販機で缶コーヒーを買い、M医師の予診を受けて待っていると、I士がやって来て、リハビリ開始となった。 歩きながら、I士は

 

   「どうですか、調子は?」

 

と珍しく聞いてきた。 私が

 

   「相変わらず・・です」

 

と答えると、I士はクスッと笑い、

   

   「『相変わらず』・・ですか!?!」

 

と、どちらにも取れる答えになっていない答えがウケた様だった。

 

   ―――――――――――――――――――

 

さて、施術の方はいつも通り進み、彼はバインダーを取り出し、記入し始めた。 そう、

 

   「今日は月初めなので、これ(「リハビリテーション総合実施計画書」)を作成させて頂きます」

 

と言う日だ。 毎回悩むのは、患者の希望欄である。 確か先月は、日記には書かなかったが、

 

   「後退歩の時に、すくまない様に」

 

と申し出たものの、それらしき練習は無かった。 そこで今回も希望を訊かれた時、期待もせずに、

 

   「方向転換の時に、すくまない様に」

 

と言ったら、彼は

 

   「じゃあ、やってみましょう!」

 

と。直ぐに反応した。 そして私に立ち上がり、その場で回転する様指示した。 私が立ち上がり、その場で回転を始めると

 

   「もっと足をあげてぇー、もっと ・・ もっと」

 

と鼓舞した。 きっと、左右の足に交互に体重を掛けて行くと、すくまないのだろう。

 

孤独死

未だ、夜中だった。 消防車がサイレンを鳴らしながら、我が家の前の街道を通り、近所で止まった。 急にサイレンで起されて回らない頭で、

 

   「(もし本当に火事なら、起きて火元との距離を知り、風の方向や速度を知り、延焼の可能性がゼロでないなら、たとえ着の身着のままでも・・)」

 

とか

 

   「(火事なら、外やカーテンが明るくなるだろうに、それも全く見られない・・)」

 

と思い薄目を開けてみたり            

 

   「(ん? 火事にしては、静かだなぁ・・ 燃える音もしないしぃ、放水の音も人の声もしない・・)」

 

とか、思っている間に再び寝てしまった。

 

   ―――――――――――――――――――

 

その朝、近所の人が沙汰に来た。 二軒隣のNさんが亡くなった・・と言う事であった。 Nさんと言えば、自治会の同じ班であり、確か自宅は、古い母屋から同じ敷地内に平屋の家を新築して独りで住んでいたハズである、

 

早速、妻が近所の人と口火を切りに行き、色々と情報を仕入れて来た。 それによると・・

 

  • 朝4時頃、新聞配達員が、Nさん宅に1週間分以上の新聞が手付かずでそのままになっているのを知った」。
  • 新聞配達員は異常を感じたので110番通報をしたら、パトカー等の緊急車両が集まって来て、結構大変だった。
  • 警察官が調べると、全て内側から施錠してあった。 そこで止む無く、窓ガラスを割って中に入った。
  • 警察官が、室内で倒れて死んでいるNさんを発見した。

 

と言う事らしい。 私は。朝、起きたら夜中の事はすっかり忘れていたが、沙汰を聞いて少しずつ夜中の事を思い出して行った。 そもそもあのサイレンは、夜中でなく朝の4時過ぎだったのだ。

 

近所の人の話しでは、一週間程前に回覧板を持って来たNさんの顔色が余りにも悪く、 声を掛けられなかったそうである。 つまり、こう言う事らしい。

 

体調を崩していたNさんは、自宅で転倒して机の角に額をぶつけ、気を失ってそのまま絶命してしまった様だ。 額の傷がどれ程の物かは、Nさんの顔に白い布が掛かっていたのであるが、敢えて見なかったそうである。

 

   ―――――――――――――――――――

 

何でも、Nさんは未だ72歳。 若い頃結婚したらしいが、子供が出来なかったため、親が別れさせたそうである。 妻曰く

 

   「そん時(Nさんは)奥さんに着いて行けば良かったんだよ・・ どうせ親は先に死んじゃうんだから」

 

と。 しかし、そんな単純なものではないだろう。 と言うのは・・  

 

三人兄弟の長男として産まれ、弟は結婚して大阪に家庭を持ち、妹は市内に嫁いで家族を持っている。 きっと、家や親の財産は長男が継ぐべき・・と言う封建的な親の考えから推したら、直系男子のいない長男夫婦は―――もっと言えば、子を、出来れば男子を産めない嫁は―――きっと「一人前」ではなかったのだろう。

 

そんな時代錯誤の様な事を言っているから、長男(=Nさん)を孤独死に追い遣る結果になってしまうのだ。 Nさん夫妻は決して仲が悪い訳ではなかった・・と聞くと、一層涙してしまうのである。

 

診察201801-2

 

さて、血圧の報告と処方上の希望、および、若干の追加日報告を行った。

 

 (3) 血圧の測定結果について  

 

③ 12月〇〇日(前回受診日)~1月〇〇日(昨日)の起床時及び就寝時の血圧は、次表の通りであった。

 

測定時期

起 床 時

 就 寝 時

項目

最高血圧

最低血圧

脈拍数

最高血圧

最低血圧

脈拍数

単位

mmHg

mmHg

 pulse/min

mmHg

mmHg

pulse/min

有効件数

35

35

35

35

35

35

平均値

135

83

64

122

78

67

標準偏差

6.8

6.4

4.1

7.9

6.2

3.6

最高値

146

93

73

140

91

73

最低値

119

62

56

108

68

60

 

 (4) 診療上の希望について  

 

  • 処方については、現在のままでお願い申し上げます。

 

 (5) その他  

 

  • 1月19日、「特別障害者手当」の受給資格について、申請が承認されたとの通知が郵送されて来た。
  • ⑤の結果を受け、鴻巣市に「難病患者手当」の「受給資格喪失届」を提出した。 (これは、本手当と⑤の手当の併給ができないため。)
  • 今月から、指定難病に係る保険診療の個人負担が、月額最高5,000円となった。(前月まで、20,000円)

 

F医師は、⑧を見て。

 

   「そうですかぁ・・ 認められましたかぁ・・ 良かったですね!!!」

 

と言ってくれた。 きっと私から申請のための診断書の依頼があったが、自分が(非常勤のため、診断書を)書けなかった事を気にしてくれていたのだろう。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2017/11/25/115407  (F医師への依頼)

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2017/12/25/081658  (T医師による診察)

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2018/01/11/110831  (申請手続き)

 

と言うのも。月額26,810円が支給されるからである。 しかし、⑥の効果により、実質は25,810円となる。

 

そして、次回は4週間後を勧められたが、月額医療費の上限が⑦の効果により一定なので、今回も5週間後にお願いした。

 

診察201801-1

 

さて、リハビリ後は、診察室へ向かおう。 そこで私は車椅子に乗り、妻の介助を得ていつもの脳神経内科の待合室に着き、車椅子のタイヤを左右共ロックした。 すると、現在診療中の患者が終わって、直ぐに呼ばれた。

 

早速私は車椅子から立ち上がり、杖を突いて診察室に入った。 すると、F医師は、こちらに正面を向けて待っていてくれた。 そこで軽い挨拶を交わし、いつもの様にメモを渡した。 そこには、次の様な事を書いて置いた。

  

(1) 前回受診(2017年12月〇〇日)以降の主なイベントについて 

 

(特筆すべき外出イベントは無く、自宅にいる事が多かった。)

  • ① 1月22日の降雪に対して、翌23日に自宅の庭や通路の除雪を行った。 しかし、私自身は進行性核上性麻痺のため、殆んど「労力」になれず、作業の90%以上を妻に頼らざるを得なかった。 ただ、今回の積雪量は4年前と比較して少なく、また前回の事故を教訓として「支え」を2本入れたので、カーポートは無事だった。

   

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20180208/20180208115025.jpg  (庭から街道へ)

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20180208/20180208115021.jpg   (街道から庭へ)

 

    https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20180208/20180208115017.jpg  (庭から我が家へ)

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20180208/20180208115012.jpg  (我が家(左)とカーポート)

 

   https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/P/PSP-PAGF/20180208/20180208115009.jpg  (4年前のカーポート)

 

この写真をみて、F医師がA4の紙う撓(たわ)めて解説してくれた。

 

   「これはカーポートの屋根が丸みを持っているから、雪が落ちないんですよ・・」

 

今度は紙を平面にして、60度位の勾配を付け、

 

   「屋根が平面だったら、上の雪の重みが下に掛かるので、ズズーっと落ちて来るんですよ。 屋根の場合は下から温められて、溶水層が出来ると。一層ズズーっと・・」

 

と説明した。 すると、F医師は、意外な事を言った。

 

   「(私が)どうして雪に拘るかと言うと、私・・ 北海道出身なんです。」

 

   ―――――――――――――――――――

 

 (2) 前回受診(2017年12月〇〇日)以降の体調の変化について 

 

  •  ② 特筆すべき事も無く、体調に大きな変化は無かった。 唯、小さな変化はあるが、その原因は不明。

 

まぁ、体調が安定している・・と言う事で、F医師から特にコメントは無かった。

 

リハビリ410と診察201801

大変失礼しました。 「水難の相11」を重複してアップロードしてしまいました。 しかし、折角、☆やコメントを頂戴しましたので、削除せずに、編集しました。

 

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さて、同じく1月下旬の今日は、リハビリと診察のある日だ。 そこで、妻の運転で総合病院に出掛けた。 そこで先ず、医師の予診を受けようとしたら、代診の医師だった。 そう、カルテも見ずに私の名を呼んだ医師である。

 

   http://psp-pagf.hatenablog.jp/entry/2017/12/17/085036

 

今回もまた、私の顔を見るなり、

 

   「ぁ、〇〇さんね!」

 

と小声で言い。モニターの下のキーボードとマウスを操作し始めた。 すると、その事に気付いた妻は、後で、こんな事を言った。

 

   「あのセンセ、私達を見ただけで、名前を呼んだね?」

 

   「そうだね、我々もここが長いからねぇ・・」

 

と私は、相槌を打った。 そう言えば、ここもかれこれ5年と9ヶ月にもなる。 その間、担当も幾度となく変わり、多くの患者が「卒業」して行った。

 

   ――――――――――――――――――

 

さて今日の担当は、Y士と言う。 勿論、一番最初に担当してくれたY士とは別人であり、これまで何回か担当してくれたY士とも別人であり、当然、初めてである。

 

受付前の待合椅子に腰掛けていると、Y士が声を掛けて来た。 見ると、スラリとした若者がいた。 面長で、外観は「松坂桃李」風、部品は「高橋一生」風、そしてレイアウトは「山田涼介」風。 但し、髪は刈り上げてあり、もっと短い。

 

まぁ、初めてなので、力の加減が分からないのだろう、全体的に弱めであった。 負荷がかかりそうな時は、予め

 

   「痛かったら、言って下さい」

 

と言ってくれたが、そんな機会は無かった。 そして、一通りストレッチやマッサージが終わると、彼はこう評した。

 

   「左より、右のほうが柔らかいですねぇ・・」

 

と。 まぁ良く言えば「柔らかい」、悪く言えば「バランスが悪く、例えば右に崩れてしまう」と言う事だ。 では、それを防ぐには?

 

台に腰掛けた私に、彼は左を向く様指示した。 その状態で、左上に伸びるものである。 動作としては地味だが、椅子に座って傾いてしまった時、姿勢のリカバーに有効である。

 

その他、バンザイをした状態で杖を幅広く持ち、両腕を縮めて杖を後頭部の後ろに通すものも行った。 そして、彼は手本を見せ、こう言った。

 

   「もし(杖が)後頭部を通らなければ、無理しなくてイイですよ」

 

と。 きっとバンザイした時の両腕が、十分後方まで届いなかったからだろう。 しかし、実際には、辛うじて通った。

 

水難の相―11(お湯が出る!!!)

 

話しは前後するが、1月中旬のリハビリの予約日と漏水工事の日程が重なってしまった。 そこでF社のSさんには、日中3時間程留守にし、帰りが夕方になる旨を伝えたら、それでOKだと言う。 そこで、妻と私は妻の運転で総合病院に出掛けた。

 

帰り道、寄りたい所があったが、水道屋さんが来ているので真っ直ぐ帰ったら、午後4時少し前に家に着いた。 一応、Sさんに帰った旨を報告したら、その30分程後に、

 

   「お湯、使って見て下さい?」

 

と、Sさんから妻に声が掛かった。 早速妻が台所で、混合水栓を湯側にして開けると・・ 最初は水だったが、やがて暖かくなって行った。 思わず、妻は

 

   「お湯が出るって、イイわねぇ・・」

 

と言ったが、やけに実感が籠っていた。 テレビで、寒波来襲による水道管破裂(4箇所)により水が出ない家庭で、修理に来た水道屋さんの事を、主婦がレポーターに、

 

   「神様ですよ!」

 

と言っていたが、水洗トイレの使用もままならない不便さは、想像に難くない。

 

   ―――――――――――――――――――

 

こうして、水難の相は解けたが、原因は矢張りエコキュート本体から台所への給湯配管が土地の陥没により漏水を起こしていた様だ。 実はその場所には、家全体の上水配管が敷設してある・・ 

 

   「次(の漏水箇所)は、きっとこの下にある上水(配管)ですね!」

 

と明るく言うので、妻も半ば冗談風に、

 

   「その時は、よろしくお願いします」

 

と、フォローした。 そして、朝一でお願いしてあった洗濯機と水栓との間のコネクターからの水の滴(したた)りを補修して帰って行った。

 

まぁ、プロフェッショナルに対して失礼かとは思ったが、念のため水道メーター内のパイロットを見ると、ピタリと停止していた。

 

   ―――――――――――――――――――

 

さて後日、請求書を届ける・・と言う電話が「奥さん」からあったので、

 

「その時、現金で支払うから、領収書も一緒にお願いします」

 

と言うと、後日電話連絡の上、「奥さん」がやって来た。 金額をみると、Sさんが口頭で言っていた学(120,000円)に消費税(9,600円)を加えた額になっていた。 妻は、洗濯機の水の滴り補修が無料だった・・と喜んでたが、別に部品や時間を要した訳でも無いので、私はサービスだと思った。

 

 

リハビリ409―オットット!?!

 

さて、1月下旬の今日は総合病院でリハビリの予約日だ。 そこで妻の運転で、総合病院に出掛けた。 私は正面玄関で降りて、自分用の車椅子を物色し、病院入り口の自動ドアに向かった。 すると反対側から、少女を車椅子に乗せた男性が突進して出て来た。 私はそれを避けるために、急いで移動した際にすくんでしまった。 足が小刻みにしか動かず、しかも方向転換する時に、転倒しそうになってしまう・・

 

そんな事があって、

 

   「今日は、何か調子悪いなぁ・・」

 

と感じた。 

 

さて、妻から駐車場が混んでいる・・とLineが来たので、先に上がる旨を返信し、私は空の車椅子と共にエレベーターに乗った。 すると、親切な女性が、私の行き先階(7階)を訊いてくれた。

 

さて、7階に到着したが、ほかの乗客も私が7階で降りるのを聞いていたのだろう、私が降りるのを待っている様子だ。 そこで私が最初に降りた―――否、降り様とした。 エレベーターの中には他の人もいたので、方向転換出来ず、後退歩で降りるしか無かった。 

 

もう、お分かりだろう。 後退歩が苦手な私の足は小刻み歩行を始め、上半身のみそのまま進むので、後方に転倒してしまった―――と思った。 そうしたら、私の歩行異常に気付いたらしく、行き先階を訊いてくれた女性が私の空の車椅子を抑えてくれたのだった。 将に、「おっとっと、セーフ!?!」であった。(滝汗)

 

これにより辛うじて転倒を免れた私は体勢を立て直し、その後エレベーターを出た所で車椅子の方向転換をし、押す体勢になった。 こうなれば、もう大丈夫だ。 その女性が、

 

「(誰か、職員を)呼んで来ましょうか?」

 

と訊いてくれたが、余り大ごとにならない様に、

 

   「あ、前進すれば大丈夫なんです・・」

 

と言いつつ前進して見せたが、そのままエレベーターの扉が閉まってしまい、十分な謝意を伝えられなかった事が心残りである。

 

   ―――――――――――――――――――――

 

さて、今日のリハビリであるが、担当のI士は前半をいつものストレッチやマッサージを行った。 では、後半は?

 

彼は、今回のリハビリの後半を、私の(上半身の)左右差の補正に取り組んだ。 例えば、足が着かない位の少し高めの台に腰掛け、両手を胸前で合わせ、両足を揃えた。 すると彼は、その状態の私の上半身を左右に揺らした。 この時のコツは、両肩のラインを(出来るだけ)水平に保つ事である。

 

で、実際にやって見て、左右差を認識する結果となった。 例えば、左に行く時は、水平を保てているのだが、右に行くと右肩が下がってしまう・・ ナルホド、これが彼が言っていた

 

「右側が、潰れてしまっている」

 

と言う現象なのだろう。 そこで私は、右に行く時には、右肩が下がらない様に右上に右肩を突き出す様にした、 それでも、右が下がっているのが、自分で分かった。 左では特段の努力は、要らないのに・・である。